梅田 具体的にどのようなトレーニングをしていらっしゃいますか。
米長 まずは自分で弱くなったことを自覚する。ここからはじめなくてはいけないと思いますね。今、トレーニングの一環として、自分の昔の将棋を並べているんです。するとまあ、米長四段、あるいは米長五段の将棋が素晴らしいんですよ(笑)。詰むや詰まざるやのギリギリをしっかり読み切って指している。ときどき将棋ファンで「米長が好きだ」という人に会うんですけど、私自身が、この「米長」という人に一遍会ってみたくなる。そんな将棋を指しているんです。ただ残念なことが一つあるんですね。今の私は、「ああ、あの局面で自分は確かに読み切っていた」ということは覚えていても、米長五段の指し手の読み筋がまるで分からないんです。
梅田 その米長五段の素晴らしい一手に辿りつくまでの思考プロセスを再現できないわけですね。
米長 ええ、つまりは弱いということです。
それで、棋力のV字回復を図るために、私のやろうとしているトレーニングは詰将棋です。これはアマチュアでもプロでも、弱くても強くても基本だからです。三手詰と五
手詰をできるだけ早く詰ますということを、ひたすら繰り返す。
また、五九手詰とか一二七手詰という長手数の詰将棋を数時間じっと考えて詰ます。これも重要だと思います。私が序盤でいいかげんに指すこともあるというのは、脳みそを温存しておくという意味もあります。マラソンにたとえれば、前半は「これ以上離されると追い抜けなくなる」ギリギリの位置について流す。そして三〇キロを超えたあたりで先頭集団に入り、四〇キロを超えたところで抜け出すようなものです。ところが今回は最初からトップに躍り出て、最後までリードを保つような走り方をしなくてはいけません。そのための脳みそのスタミナを鍛えておく必要があります。
ただ、こうしたトレーニングが引退した後にまで効果的なのか、しかも即効性があるかどうか。これは分かりません。とにかくやってみるしかない。
梅田 対局がチャレンジであると同時に、トレーニングそのものもチャレンジの一つであるというわけですね。
今回の対局が一番面白いと思う
梅田 米長先生の全盛期には、コンピュータは弱過ぎた。ただコンピュータが指すに足る相手になった今は、全盛期を過ぎている。この時間のズレをトレーニングで埋めようとされているのは、本当に素晴らしいことだと思います。
米長 『森田将棋』という大ヒットした将棋ソフトの開発者・森田和郎さんはまさにコンピュータ将棋の草分けで天才的な人なのですけれども、この森田さんが二〇年前に「二〇一〇年にはプロ棋士を追い抜くことになるだろう」という予言をしたんです。それを受けて、雑誌の企画でプロ棋士に、「コンピュータは人間に勝てるようになると思いますか。もしそう思うならば、それは何年くらいになりますか」というアンケート調査があったんですね。
そのアンケートをよく見てみると、米長邦雄という人物も質問に答えていて、「人間がコンピュータに追い抜かれることはない」と書いている。「追い抜かれるはずがない
」と言いきった人間が、いよいよコンピュータと激突するわけです。
私もね、いつかはコンピュータに抜かれるときが来るだろうとは思います。でもそれは人間がコンピュータに将棋の技術で抜かれたというより、計算速度で負けるんだと思う。同じことのようだけれども、少し違うんですね。
コンピュータというのは、同じ市販のソフトでも、それを動かすコンピュータの性能によって実力がまるで違ってきます。ですから大したことのないソフトでも、世界最速のスーパーコンピュータに載せれば、強くなる。こうなると、結局、マラソンランナーと、車を運転する人では、どちらが速く動けるかという話になってしまいます。
梅田 でも今は、コンピュータ側がどんなことをしてきても、まだ人間のほうが強い。そこが逆にすごいところですよ。
米長 そうなんです。ちなみに、今回は「私は裸で出て行くつもりだが、そちらはコンピュータを何台つなげようとご自由に」と先方には伝えてあります。
今が、生身の人間とコンピュータが戦う一番面白い局面なんでしょうね。お互いが死力を尽くして、局面が均衡するわけですから。
これ以上なく舞台は整いました。米長邦雄の将棋人生、最後の大勝負と思って、勝ちにいきたいと思います。
(了)
〔『中央公論』2011年11月号より〕