(『中央公論』2021年11月号より抜粋)
冷戦終結後の世界
コメカ テキストユニット・TVODのコメカです。我々は普段は主に、サブカルチャーや社会状況についての批評記事を執筆しています。今回は1990年代という時代について、当時の文化や政治への言及を通して、自分たちなりの概観や考えを示してみたいと思います。
パンス はい。TVODパンスです。とりあえず、我々は1984年生まれということで、90年代の時点ではまだ子どもなんですよね。なので、リアルタイムだけど当事者感は薄い。その頃起こったことを見てはいるけど、改めて後追いでいろいろ調べて把握し、考えるようになった立ち位置からの話になるでしょうね。
コメカ そうそう、原体験として90年代を過ごしているので、後から歴史として当時のことを学んで、原体験的記憶と摺り合わせていったようなところがある。
で、90年代という時代を考えるとき、まず大きなトピックとして持ち出さざるを得ないのが、冷戦終結(1989年)という状況かと思います。
パンス 冷戦終結は、どういった変化をもたらしたんでしょうかね。
コメカ 冷戦構造下では二つの大きなシステムの対立といったイメージで社会を想像できたけれども、それ以降はたくさんの小さなシステムの乱立状況のような形でしかイメージしにくくなった、という見方ができると思っています。
ある意味わかりやすい、西側陣営・東側陣営の二項対立的なパースペクティブで世界を捉えられなくなった、という。
パンス 当時流行したフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(1992年)みたいなスタンスだね。弁証法的に展開する「歴史認識」自体が終了したというような。「どちらが良いか」といった議論が終わって、自由主義・民主主義的な体制が持続する見立ては、その後の歴史によって覆されてしまったようにも思うけど。
コメカ 冷戦終結と並行して、90年代初頭の日本は、昭和の終わりから平成の始まり、55年体制の終焉から新党ブームの発生、バブル経済の崩壊などなど、言わば旧秩序の終焉、新体制への模索的な、諸々の状況に見舞われることになる。政治的にも模索期だったと言えるだろうし、文化的にもアノミー状況的な気分があったんじゃないかと思うんだよね。
例えば、(世間のイメージとは裏腹に)バブル崩壊期にジュリアナ東京みたいな巨大ディスコが人気を集めたりしてる。当時子ども心にああいう猥雑さというのがうまく理解できなかったんだけど、こういうコンテクストのなかにそういうやけっぱちな気分というのがあったのかなあ、と後から思ったりした。
バラエティ番組の趣向やテレビドラマのテーマ選択がやたら過激化していったり、チーマーみたいな社会風俗がクローズ・アップされたりとかね。
パンス 政治的な変化も、冷戦構造の終結と関係があるということ? バブル期の狂騒は1989年より前に始まっている。それと、バブル崩壊という現象は「ゆっくりと」認識されていったのが当時の状況でしょう。
コメカ いや、それこそ例えば昭和から平成への移行というのはたまたまこのタイミングに重なっただけだし、別にすべてが直接関連していたわけではもちろんない。
ただ、諸々の出来事が重なって起こったことで、それまでの比較的安定した社会イメージの「次の時代」が始まる、という気分は広く共有されていたんじゃないかと思うんだよな。