90年代文化の特徴とは何だったのか? TVOD
ナンシー関が忌避したもの?
パンス 「戦後民主主義」に対する批判という話が出たけど、政治分野で考えると、湾岸戦争が日本に及ぼした影響として、経済支援以外でも「国際貢献」をしなければという考え方が出てきた。そこで提唱されたのもリアルならぬ「現実主義」で、PKO法案も通っていく。
サブカルチャーからの反応としてよく例に挙がるのがアニメ映画『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993年)でしょう。
並行して、「新宣言」(1986年)以後の社会党もそれまでの左派的な傾向を切って縮小し、「革新」に代わって「リベラル」という概念が出てくる。
冷戦後の日本を捉えるなら、大まかにこのような流れがあった。だから、「リアル」の追求は特定の文化的傾向にとどまらないと思うね。また、1995年参院選の投票率を挙げるまでもなく、政治意識の極端な低下もこの時期の特徴。
コメカ 95年参院選の投票率は50%を割っていて、当時史上最低の数字。それまでに東京佐川急便事件や非自民連立政権=細川内閣と羽田内閣の瓦解などが起きていて、政治への不信や期待感の喪失が顕著になっていたと言える。1995年というのは戦後日本における、ある種の分水嶺のような年だとよく言われますね。
パンス 今回の依頼もあって、鶴見済(わたる)『無気力製造工場』や、ナンシー関『何もそこまで』など、90年代中盤に刊行されたコラム集を読み返している。
『無気力製造工場』には政治の話がよく出てくるんだよ。「こんなニュースで騒いでいてバカバカしい」という文脈で。一見シニシズムに見えるんだけど、それにしてはやたらといろんなものに怒り続けているのが特徴的。そこには大文字の政治を否定する政治性というものが確実にあったと思うんだよね。何に怒っているのか仔細に見ていくと、「朝まで生テレビ」とか、小林よしのりとか、当時の政治とサブカルチャーをつなぐような現場に対して苛立っているのがわかる。
ナンシー関の場合は「怒り」というのとちょっと違うけど、テレビを通して伝わってくる大衆意識のようなものに徹底してシニカルな目線を向けることによって、社会を見通そうとしていたのではないかと、いまとなっては思う。
それらは一見政治を忌避しているように見えるけれども、大文字の政治を否定する政治性のようなものが確実にあったと思うんだよね。
コメカ 「大文字の政治を否定する政治性」というのは、2021年現在一番理解されがたいものになってしまった気がする(「単なるノンポリでしょ?」と処理されがち)。
それは80年代サブカルチャーのなかではむしろ積極的に志向されたものだったと思うんだけど、90年代に入るとサブカル側から大文字の政治に対応する人も出てくるようになる。右側からは小林よしのりのような人が、左側からはいとうせいこうのような人がそうしたように。
そこに対して、鶴見やナンシーはそれぞれのやり方で、80年代・ノット・デッド的な態度をとっていたというか。村上春樹が言うところのデタッチメントを維持するために真剣に怒り続けていた、とすら言えるんじゃないかと思う。
そして95年という時代の巨大なメルクマールとしての地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教は、ある意味で80年代的なデタッチメントに耐えきれなくなり、現実に対してテロを仕掛けてきた集団だったと解釈できるのではないか。
コメカ(1984年、埼玉県生まれ。法政大学文学部卒業。国分寺の古本屋「早春書店」店主)とパンス(1984年、茨城県生まれ。法政大学文学部卒業)による2人組テキストユニット。音楽や映画、漫画、お笑いなどのサブカルチャーや社会・政治に関しての批評を、各種メディアにおいて執筆。著書に『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房)。