(『中央公論』2021年11月号より抜粋)
- リブロ池袋店黄金期
- 『バルトルシャイティス著作集』
- リブロ池袋店のその後
1990年代の書店について私自身の記憶をたどろうと思う。私は92年までは学生として、93年からは出版人として、書店に接してきた。つまり客やメーカーの立場から書店について語れるにすぎない。それは良くも悪くも外部からの視点である。また、私が出版人として訪問したことがある書店は何より都内の主要店舗であり、地方書店はごく少数にとどまる。90年に約2万8000軒あった書店のほんのわずかな一部だ。
そもそも書店と言っても、とうてい一言で括れる存在ではない。客層も売場面積も扱う商材も様々だ。さらに、店舗を構えて一般客を相手にする店売と、地元の企業や学校や図書館などを顧客にもつ外商とでは、随分と性質が異なる。そうした次第なので90年代の書店というテーマは実は非常に難しいのだが、ここでは思い切ってごく大雑把に、東京から見た店売風景を粗描してみたい。私にとってそれはまず何より、リブロ池袋店に通っていた時代を意味する。
リブロ池袋店黄金期
90年代は、その始まりから書店の店舗数が減少に転じた時代である。それは書籍や雑誌の売上がピークアウトした90年代後半よりも早い。しかし、バブル経済崩壊後になおも売上を伸ばしていた出版業界は、経済の浮沈と無関係に見えた。
都内では、今泉正光店長率いる多士済々のリブロ池袋店の書棚がひときわ鮮やかな光彩を放っていた。私は大学在学中の4年間、同店に日参していた。コンコルディア(調和)と名づけられた特注の什器に並べられた人文書棚に魅せられ、どの書目がどう並んでいるか、すっかり憶えてしまうほどだった。
卒業後には出版社の営業マンとなり、同店の皆さんとも言葉を交わせるようになった。書棚の前でよく今泉店長は私に、どの著者やどの本に注目しているか、大いに語ってくださったものだ。店長が話し出すと、立ち読みしている周囲のお客様の耳が自然とこちらに向けられていることが感じられた。あるときは歴史家のアラン・コルバンをめぐる熱弁だったが、私は哲学者のアンリ・コルバンとずっと勘違いして受け答えをしていた。話がたとえすれ違っても、店長の弁舌はとどまるところを知らなかった。
店頭は本を買う場所であるだけでなく、丁寧に手入れされた書棚から知の編集術を知り、書店員との交流から知見を得る、学びの場所でもあった。リブロ池袋店の黄金期は、田口久美子の『書店風雲録』に詳しい。