90年代、書店とは何であったか

アマゾン以前の景色として
小林浩(月曜社取締役)

『バルトルシャイティス著作集』

 学生の時分に出会ったリブロ池袋店の店頭風景の鮮烈な記憶は、けっして塗りかえられない、かけがえのないものとして、私の胸に今なお焼きついている。

 例えばこんなことがあった。国書刊行会から美術史家の鬼才ユルギス・バルトルシャイティスの著作集が刊行開始となった。91年の『アベラシオン』が第1回配本である。このときリブロ池袋店では同書を、芸術書、人文書、外国文学、の3つの売場で平積みしたのだ。安いとは言えない学術書を多面展開する。これは他店ではできない冒険だったはずだ。バルトルシャイティスの既訳書はその時点で85年刊の『幻想の中世』しかない。著作集は全4巻で訳者陣は種村季弘(すえひろ)、巖谷國士(いわやくにお)、高山宏、有田忠郎(ただお)、谷川渥(あつし)。目をみはる顔ぶれである。訳者や出版社の頑張りに応える書店があるのはどんなにか心強いことだろうか。

 周知の通り、『幻想の中世』の訳本でいち早くこの鬼才の紹介に先鞭をつけた出版社とは、リブロポートである。リブロ同様、セゾングループの一員だ。同社はバルトルシャイティスだけでなく、美術史家の鬼才としてもう一人、今では多くの翻訳が出ているジョルジュ・ディディ=ユベルマンの初訳本『アウラ・ヒステリカ』も90年に刊行していた。

 同社は98年、まさにグループの凋落のさなかに廃業した。翌99年には、京都書院や光琳社出版など、美術系の出版社が相次いで倒産している。不況の洗礼を真っ先に受けたのはこの分野だった。倒産した出版社の本は原則として、書店は返品する必要がある。廃業、休業、取引停止など、いわゆる「有事出版社」の情報は、出版社と書店を結ぶ問屋である取次会社から取引書店に周知される。

大型店化と関西勢の東京進出

 私にとってリブロ池袋店がいきつけであったように、人によってよく通う大型書店は、紀伊國屋新宿本店であったり、青山ブックセンター六本木店であったり、三省堂書店神保町本店であったりしただろう。コロナ禍の現在では考えられないほど、どの書店も昼間からにぎわっていた。バブル崩壊の現実が消費者の財布の中身に大きな影響を及ぼす90年代後半、店頭での売上に陰りが見え始めるまでは。

 特記すべきは、90年代初めから書店数は減少していったが、売場総面積はそれに反比例するかのように2000年代半ばすぎまで増え続けたという現実である。大規模小売店の増加を後押ししたのは、90年代初めの大店法改正と、2000年代初めの大店立地法施行だ。それらを背景に、書店業界では関西の新旧2大勢力が90年代後半に東京進出を果たす。その象徴が、97年のジュンク堂書店池袋店、98年のブックファースト渋谷店だ。

 業界全体の書籍総売上のピークは96年、雑誌のピークは97年で、そこからこんにちに至る長い出版不況の下降線が引かれる。しかしジュンク堂書店は全国展開を加速化させ、池袋店は01年には売場面積を2倍に増床し池袋本店となる。日本最大の2000坪の売場の誕生である。いっぽう、ブックファースト渋谷店はカリスマ書店員が運営する若者文化の中心地として注目を集めていた。多くの出版人はまだ巻き返せる望みがある、と思っていたかもしれない。

 だから2000年にアマゾン・ジャパンがオープンしても、出版人は比較的に冷めた目で見ている向きが多かったように思う。たかが通販である。本は書店に行って現物を見るのが一番だし、これからもきっとそうだ。そう信じていた。

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