90年代、書店とは何であったか

アマゾン以前の景色として
小林浩(月曜社取締役)

リブロ池袋店のその後

 話を戻すと、90年代の半ば以降、セゾングループの衰退とともに、リブロでは社員の早期退職者募集を繰り返すようになった。各分野を手厚く固めていた優秀なヴェテランや若手が続々とやめていくのをかたわらで見ているのは、営業マンとして辛かった。売場のリニューアルも続き、徐々に私の知っているリブロではなくなっていった。

 ジュンク堂書店池袋店の開店のために転職した仕入担当の中村文孝は『リブロが本屋であったころ』という小田光雄によるインタヴュー本を11年に上梓している。発売当時、リブロで働く現役スタッフからは書名にある「過去形」の表現に反発があったと聞く。当然のことではあるだろう。百貨店や親会社の要望にさらされつつも現場は常に戦ってきたはずだし、池袋店はたくさんのお客様に愛されてもいたのだから。

 ただ、私自身は中村の思いが少しだけ分かる気がした。変わりゆくリブロの店頭を寂しく思う自分がいたからだ。私が黄金期と見ていた過去のリブロについて、後任のスタッフからは何度か「あの時代だからこそできたのだ」という声を聞いた。時代のせいなどではない、今でも挑戦できるはずだと私は不満に思っていた。それは実際には困難であり、ノスタルジーだったのかもしれない。中村はしかし、ノスタルジーではなく、本屋像の変遷を率直に指摘したのではないかと思う。

 リブロ池袋店が池袋本店と改称したのはいつのことだったろうか。東池袋に支店ができたころだったかもしれない。今は2店舗とも存在しない。リブロは03年に大手取次の日本出版販売(日販)の子会社となり、百貨店と折り合いが悪かった池袋本店は15年に閉店した。跡地は三省堂書店が継いだ。18年、リブロはオリオン書房、あゆみBOOKSなどと一緒になり、リブロプラスとして再出発している。

 リブロ池袋店の90年代半ばまでの(私が見るところの)全盛期を支えたのが、人文書専門取次の鈴木書店だったことは特筆に値する。メインの取次は日販ではあったけれども、鈴木書店の担当者は迅速かつ細心な商品調達力にたけており、いわば裏番長的な存在だった。その鈴木書店は01年に倒産した。出版不況下の取次の相次ぐ倒産はこれを潮目とし、現在に至るまで続いている。

次世代型書店は愛知発

 90年代の書店像について、補足しておきたいことがある。書店が文具を扱うのは昔からよく知られた話だ。しかし文具や雑貨などを脇役ではなく積極的に商材として扱うというのは、さほど昔の話ではない。書店業界で、雑貨販売を企業のアイデンティティとして確立したのは、「遊べる本屋」を標榜するヴィレッジヴァンガードであろう。86年に名古屋に1号店を出店後、90年代には全国進出に乗り出し、02年に店舗数が100店を突破。翌年にはJASDAQに上場を果たしている。


 書籍と雑誌の販売に注力してきた既存の書店チェーンがたどった進化形態は、大都市圏での大型化だった。しかし愛知にはヴィレッジヴァンガードに代表されるように、郊外に活路を見いだし、複合化という新機軸を追求する試みが生まれていた。こんにち蔦屋(つたや)書店がその模範となっているような複合書店の前史がここにあると言っていい。

中央公論 2021年11月号
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小林浩(月曜社取締役)
〔こばやしひろし〕
1968年東京都生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、未來社、哲学書房、作品社を経て、2000年12月に月曜社設立に参画。編集・営業の両面で携わる。また、ブログやSNSを通して人文書の紹介や出版業界の動向についての解説を行っている。
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