――紅林の築き上げた捜査体制は現在にまで尾を引いていると作中にありましたが、実際にはどういうことでしょうか。
静岡県では二俣事件と同様の冤罪事件が多発しています。これは紅林から薫陶を受けた刑事たちが各所で拷問まがいの自白強要を行っていたためです。いずれも長時間の取り調べ、トイレに行かせない、ときには暴力を振るうなど、証拠の残らない悪質なものです。
今もなお裁判が続く袴田事件もそのひとつです。紅林は二俣事件裁判の最中に失脚し、袴田事件の発生した1966年にはすでに故人となっているのですが、彼のやり口は現場に根強く残っていたようです。
県警内部向けの広報誌「芙蓉」の中に、当時の紅林の部下が書いた記事を発見したのですが、そこには「推理をおろそかにしてはいけない。有形証拠に頼りすぎるな」という旨の文章が書いてあり、愕然としました。事実より推理が勝るなど、今の警察であれば絶対に考えられない。言い換えれば「物的証拠などあとからでも準備できる」ということにも考えられます。
袴田事件も、発生後1年以上経ってから現場から犯行時の着衣が発見されたというのはどう考えてもおかしいでしょう。こんなやり方が県警全体でまかり通っているならば、冤罪などいくらでも起きうるし、いくらでも犯人を捏造できます。