安東能明 静岡県で冤罪事件が多発したのはなぜか。その背景にいた『昭和の拷問王』の正体に迫る

『蚕の王』著者、安東能明氏インタビュー
安東能明

――なぜ二俣事件裁判では逆転無罪を獲得できたのでしょうか。

やはり清瀬一郎という稀代の弁護士の力が大きかったと思います。弁護士だけでなく衆議院議長や文部科学大臣を歴任した政治家でもありました。

2審の死刑判決ののちに被告人の少年の弁護に当たるのですが、当時も議員在職中でした。清廉潔白で知られる人物で、今日でいう人権派弁護士の域を超え、人類愛に溢れた人物といっても過言ではないと思います。現に1、2審の死刑判決を覆すという大仕事をやってのけたにもかかわらず、この弁護は無償で引き受けています。

移動にかかる費用や、当時は資料の謄写代もかなりの額がかかったはずですから、無償どころか大幅な持ち出しであったはずです。

――そんな大物弁護士である清瀬一郎が動いた理由はなんだと考えますか。

ひとつは紅林が捜査に関わっていた冤罪事件、幸浦事件の弁護を清瀬が担当していたことは大きいと思います。ですが、そこに至るまでに紅林体制に立ち向かった人たちのことを忘れてはなりません。

前述の手記を書いた刑事は、二俣事件の裁判中に全国紙の紙面に登場し、拷問による自白強要を告発しています。警察組織を敵に回すことによる苦難は、容易に想像できたはずです。現に彼は警察を追われ、自宅を放火までされました。それでも戦わなければならなかった、情熱と責任感に満ちた刑事だったのでしょう。

また、裁判の際にひとりの元刑事が証言台に立ち、幾度も紅林体制に異議を唱えています。この元刑事は、浜松事件において紅林と共に捜査をしていた人物です。

紅林の犯したミスや、当時紅林が犯した別の悪事についても知悉していたはずです。旧知の仲だからこそ、自分が止めなければいけないという覚悟があったのではないでしょうか。彼は二俣事件だけでなく、紅林が関わった他の冤罪事件でも、無罪獲得に向け尽力していました。

こうした人たちの熱意があったからこそ、時代の大看板である清瀬が動き、逆転無罪の獲得につながったのではないかと思います。

蚕の王

安東能明

昭和二十五年、静岡県で発生した一家殺害事件、二俣事件。警察と司法が組んで行われた犯人捏造の実態とは? そして著者だけが辿り着いた「真犯人」の存在とは? 事実に基づく衝撃作。

昭和二十五年(1950年)一月。静岡県二俣町にて一家殺害事件が発生した。のちに死刑判決が覆った日本史上初の冤罪事件・二俣事件である。捜査を取り仕切ったのは、数々の事件を解決に導き「県警の至宝」と呼ばれた刑事・赤松完治。だが彼が行っていたのは、拷問による悪質な自白強要と、司法さえ手なずけた巧妙な犯人捏造であった――。

拷問捜査を告発した現場刑事、赤松の相棒であった元刑事、昭和史に残る名弁護士・清瀬一郎。正義を信じた者たちが繋いだ、無罪判決への軌跡。
そして事件を追い続けた著者だけが知りえた、「真犯人」の存在とは?

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安東能明
〔あんどうよしあき〕
作家。1956年静岡県生まれ。明治大学政経学部卒。浜松市役所勤務の傍ら、94年『死が舞い降りた』で第7回日本推理サスペンス大賞優秀賞を受賞し創作活動に入る。2000年『鬼子母神』で第1回ホラーサスペンス大賞特別賞、10年「随監」で第63回日本推理作家協会賞・短編部門を受賞。著書に『撃てない警官』『出署せず』『聖域捜査』など多数。
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