日本ではインテリの音楽?
日本でもヒップホップは人気の音楽ジャンルとなっている。ヒップホップの土壌としての人種的・階層的な問題は、全くないわけではないが、日本のヒップホップは米国とはまた異なるアプローチで社会に浸透してきた。
日本にもたらされたのは、『ワイルド・スタイル』(82年)や『フラッシュダンス』(83年)といった映画の上陸が始まりである。両作でブレイクダンスを踊った音楽グループのロック・ステディ・クルーがプロモーションのため来日したことによって、日本の若者は今まで見たことのなかったダンスに惹きつけられ、原宿の歩行者天国ではTRF(男女5人組ダンスボーカルグループ)のSAMなど、後にシーンの中心となる人物が活動を始めた。風見しんごの楽曲のパフォーマンスにはブレイクダンスが採用され、この頃からヒップホップ専門のクラブも次々に登場している。
この時点では、日本のヒップホップシーンはDJやラッパーよりもダンサーが中心であった。ブレイクダンスとラップとでは世間に浸透していくのに多少の時間差がある。
現代日本文化の研究者イアン・コンドリーによれば、ブレイクダンスが日本に持ち込まれたとき、最初に感化された人々は、そのルーツがニューヨークのアフリカ系アメリカ人による文化的ムーブメントにあることを完全には理解していなかった。
また、音楽評論家の関口義人は、日本のヒップホップ黎明期を担ったのは、米国のように人種的マイノリティや貧困層の人々ではなく、細野晴臣やいとうせいこう、タイニー・パンクス、近田春夫といった米国の音楽カルチャーにいち早く着目していた文化系のインテリ、もしくはブレイクダンスをするような流行に敏感な東京の若者だったと指摘する。
[註]
※1 2019年にDJの世界大会で優勝したCreepy NutsのDJ松永は、21年の東京五輪の閉会式で世界一のプレイを披露した。
※2 2024年のパリ五輪ではブレイキン(ブレイクダンス)が競技種目として新たに追加される。
※3 高架の壁やシャッターなどに見られる落書きがいわゆるグラフィティであり、その行為自体は犯罪である。現在世界で最も有名なグラフィティアーティストはバンクシーであろう。
※4 21年の東京五輪でも、女子サッカーの複数のチームが試合前に膝をつき、人種差別への抗議を示していたことは記憶に新しい。こうした世界の流れもあり、NFL側は選手たちの抗議に耳を傾けようとしなかった姿勢が誤っていたことを認めた。
1992年岡山県生まれ。共著に『ふれる社会学』『ガールズ・メディア・スタディーズ』『クリティカル・ワードファッションスタディーズ─私と社会と衣服の関係』、論文に「ストリートダンスの日本における展開─ダンス必修化をめぐる国内の動向に着目して」「学校で踊る若者は『不良』か?─ストリートダンスはどのようにして学校文化に定着したか」などがある。