『シン・エヴァ』ファンの配慮
もう一例出しておこう。興行収入が102億円を突破した『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(21年)である。新型コロナウイルスの流行によるものを含め、12年にわたる延期の末に公開された。伝説的なTVアニメ(1995~96年)以来、エヴァンゲリオンシリーズは無数の考察を触発してきた。今作でも数多の批評や考察がネットに投稿されたのだが、多くの書き手が、初見の人の鑑賞体験を阻害しないよう、ネタバレへの配慮をしていたのだ(森功次「『シン・エヴァ』、優しい『ネタバレ配慮』がネットに溢れる『独特の理由』【ネタバレなし】」「現代ビジネス」21/3/13)。
自分だけでなく、他者の鑑賞体験を守ろうとする動きまである。それは近年作品にも取り込まれており、例えば『名探偵コナン――ハロウィンの花嫁』(22年)には、コナンがネタバレを注意されるシーンがある。私たちは、ネタバレを忌避することで、何を台無しにせずにいたいと望んでいるのだろうか。これに対する答えは、「ネタバレで鑑賞体験が損なわれる」では足りない。社会的変化を脇に置いた答えでは、「ネタバレの声」がなぜ最近になって声高に連呼されるようになったのかが理解できないからだ。加えて、こうした指摘では、ネタバレに関する逆の傾向も同様に強まっている――シリーズものの小説や漫画の展開の核心部分を説明する動画やブログが流行している――理由が見えてこない。だとすれば、別の仕方でネタバレ問題を掘り下げねばならない。
ネタバレ問題の背景には、メディア環境の変化がある。コンテンツを鑑賞する際に、ネタバレを忌避したり、逆に積極的に求めたりするという現代のコンテンツ視聴状況を理解するためには、私たちの時代のメディア環境を知らねばならない。