不評だった映画のタイトル、『対話と構造』から『私のはなし 部落のはなし』に変えるまで。「部落問題」を描くために必要だったこととは?
「驚く」瞬間を大事にしたい
満若 タイトルに関して、ひとつ補足を。この映画は、インタビューや証言ではなくて「語り」なんですね。そのひとの個人的な体験、思いを語ってもらっている。だから、どうしても細かな歴史的事実や情報については、記憶違いや思い込みが混ざったり曖昧だったりするんです。それでも重大な問題を孕まないかぎり、極端な言い方をすると、映画としては厳密に正確かどうかはさほど重要ではなくて。「個的な体験」を話してもらうこと、それが映画としての力になったんですね。それでぼくから瀬尾さんにぜひお聞きしたかったのは、瀬尾さんはこれまで震災のあった土地に行かれ、いろんなひとの「語り」を集めておられますよね。そのときに重視されていること。事実の正確性みたいなことについて、どう考えておられるのかを教えていただけたら。
瀬尾 そうですね。どちらも必要だとは思うんです。個人としての体験と、戦後史や社会の状況との交点も。片方だけに偏って聞き取り始めると危ういと感じます。
いっぽうで、これは大事だと思うのは、聞いていて驚かされる瞬間です。自分が話を聞き始める、あるいは会話が始まる前に想定していた感覚が覆る瞬間というのがあるんですね。そのときにしっかり驚いて、その驚きを相手と共有すること。わたしの反応から、相手も何か新しいことを発見したりする。こういうやりとりは大事にしたいですね。聞き手と語り手、まったく異なる人生を歩んできた二人が出会って、話して、「めっちゃわかる」とか「なるほどね」って思える瞬間ってありえる。そういう面白さは大事にしたいと思っています。
【取材後記:このあと質疑応答に入ると、この映画を観に高知県からやって来たという男性の発言があった。外でのサイン会の際にももう一組、四国からというひとがいた。四国で上映館が決まらなかった理由のひとつには上映時間の長さによることもあったという。
手をあげた男性は、満若監督の前作『にくのひと』の撮影を許可した食肉センターの経営者の中尾さんが「自分の中にもある差別意識をどう自覚していくのか」と煩悶を打ち明けるのが、つよく印象に残ったという。そして質問は、対談の中にも出てきた「記憶」の継承についての考え方。ふたりの作品に対する姿勢があらわれているものであり、以下に返答を付記します。
自分は何を残したいか
瀬尾 「記憶」というのは何度か語っていくうちに変わっていったりすることがあります。わたしは撮影時には「聞き手」としていることが多いんですが、時間をかけて話を聞いていくなかで、そのひとが残したいことはどこにあるのかを確かめたいとは思っています。突発的に出る感情的な言葉、叫びのようなものには揺さぶられますが、それが実際に残したいものなのだろうか。それはなかなかわからないことだと思います。
もうひとつ、どういう文脈で言葉を残すのか、ということもありますね。わたしはふだん文章を書いていて、映像作品を作る際にとても簡易な台本を書くことがあるんですけど、語り手が残したいことがきちんと伝わるように、相談しながら一緒に「語り」を編んでいくようなイメージです。
満若 ぼくは映像をつくるということを生業にしてきたので、逆にカメラを構えたそのとき、その瞬間、その関係性にしか現れないものを残していきたい。もしかしたら瀬尾さんとは真逆の方法論かもしれないですが、ぼくも残したものが作品を通じてどういう意味をもっていくのかということは常に考えます。そのために、カメラを回す前に大事に関係性を積み重ね、作品を通じてどう描くのか、どう伝えるのか、を自分に問いかけます。
やはり、カメラマンという仕事をしているからこそ、一度しか訪れないその瞬間を大事にしたいですし、撮影している自分の立ち位置を軸にしか作品を作れないと思っています。】
満若勇咲
日本にいまだ残る「部落差別」を丸ごと見つめ、かつてないドキュメンタリー映画として多くの観客を集めた『私のはなし 部落のはなし』監督による初エッセイ。大阪芸術大学での原一男監督の講義から学んだこと、若松孝二監督の撮影現場での体験、屠場(とじょう)とそこで働く人々を写した『にくのひと』(2007年)が各地で上映され好評を博すも、劇場公開を断念せざるをえなかった経験、そこから十数年を経て、今作公開に至るまでの歩みを綴る。 プロデューサーの大島新氏、配給会社「東風」の木下繁貴氏との鼎談、角岡伸彦氏の解説を付す。
●満若勇咲(みつわか・ゆうさく)
監督。1986年京都府生まれ。大阪芸術大学で、映画監督の原一男が指導する記録映像コースでドキュメンタリー制作を学ぶ。在学中に食肉センターで働く人たちを映した『にくのひと』を制作、劇場公開が決まるも封印。著書に映画の制作背景を綴った『「私のはなし 部落のはなし」の話』(中央公論新社)。『ドキュメンタリー批評雑誌『f/22』の編集長を務める。
●瀬尾夏美(せお・なつみ)
画家、作家。1988年、東京都生まれ。東京藝術大学大学院修士課程油絵専攻修終了。著書に、嵩上げが進む震災の地で「わたし」や「おれ」といった主語たちの「語り」を編んだ『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)、『あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる』(晶文社)。小森はるか監督と共同でつくったドキュメンタリー映画『二重のまち/交代地のうたを編む』。