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水野太貴「「女ことば」の背後にあるもの――社会言語学者・中村桃子さんに聞く」

水野太貴(「ゆる言語学ラジオ」チャンネル)×中村桃子(関東学院大学名誉教授)
中村桃子氏(左)、水野太貴氏(右)
「ゆる言語学ラジオ」チャンネル水野太貴さんによる連載「ことばの変化をつかまえる」第4回は、ことばと社会の関係について考察する。
(『中央公論』2025年7月号より抜粋)

「ぼく」批判はいつから?

 歌手・タレントである「あのちゃん」の一人称は「ぼく」だ。彼女はその理由を「自分らしく好きな呼びやすい」一人称だからだと語っている。決してテレビに出るためのキャラづくりなどではなく、その前からずっと使っていたそうだが、その一方で保護者世代からは、子どもに影響があり、「本当に迷惑」というクレームを受けたという。見方を変えればこれは「ことばの変化」の兆しで、あの氏はその起点だといえる。

 この事実は何重にも興味深い。ひとつは女性に対して、女性らしいことば遣いを求める人が一定数いるということだ。そして、女性が自分を「ぼく」と呼ぶことは認めがたく、矯正されるべきだと考えている。

 ところが一人称が「ぼく」の女性は、実は明治時代にすでにいた。1872年の『読売新聞』には、女子学生が「ぼく・きみ」を使って話している会話が載っている。「ぼく」は男子学生が用いる「書生ことば」の一例で、その記事は女子が書生ことばを使うことを批判している。明治時代からすでに、あの氏のような女性も、それを批判する人もいたのだ。

 なぜいつの時代にも、「ぼく」を用いる女性、そして、それを咎める人がいるのだろうか。この問題は、ことば(の変化)がジェンダーと強くかかわっていることを思い起こさせる好例だ。

「ことばとジェンダー」の関係に詳しい、関東学院大学の中村桃子さんに話を聞いた。

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