不敬か国体明徴か ――曼荼羅国神不敬事件
曼荼羅国神(まんだらこくしん)不敬事件。謎めいた名前だが、弾圧の対象となったのは日蓮を宗祖、日隆(にちりゅう)を派祖とする本門法華宗である(戦時期には他宗と合同して法華宗となっていたが、ここでは便宜上本門法華宗と呼称する)。本門法華宗では、日蓮が文字で図顕した曼荼羅を本尊としている。「南無妙法蓮華経」を中央に置き、周囲に諸仏諸天の名を記したものなのだが、この事件では下段に配された「天照太神」(『日本書紀』では「天照大神」と書くが、日蓮の表記法にしたがう)の扱いが不敬にあたるとされた。天皇家の祖先神を曼荼羅に勝手に書き込み、しかも法華経の下に置くとは怪しからん、というわけだ。
さらに、この曼荼羅を解説した本門法華宗の教義書のなかにも天照太神に対する不敬があるという。そこに日隆の「天照太神等の諸神は内証に随へば仏菩薩の二界に摂すべく、現相を以て之を言はば鬼畜に摂すべし」という文言が引用されており、天照太神を「鬼畜」扱いするものとして糾弾されたのである。1937年、ひとりの神職から始まった本門法華宗に対する不敬告発は、右翼の論客、さらには宗門内にも広がっていき、41年には6名の幹部僧侶が検挙されるにいたった。
ところで、そもそも日蓮の思想は、仏教と日本国家を結びつけるものとして、近代史のなかでかなりの存在感を有していた。とくに田中智学の唱えた日蓮主義は、教団仏教の枠を超え、関東軍参謀の石原莞爾や二・二六事件に理論的基礎を提供した北一輝などにも幅広く影響を与えている。
その特徴は国家主義にあるといわれるが、実際にはそう単純ではなかった。宗教社会学者の大谷栄一は、日蓮主義者が国家と宗教(法華経)の接続をはかったといっても、両者のうちどちらを優先させるのかという点では解釈の幅があったと指摘している。宗教よりも国家を優先させる場合(国主法従)には国家主義の思想となるが、宗教の方が優先されるべき(法主国従)だとするなら、国家を超える思想、見方によっては反国家的な思想ともなりうるのである(大谷栄一『日蓮主義とはなんだったのか』)。曼荼羅国神不敬事件では、後者の解釈にもとづいて本門法華宗が攻撃対象になったのだといえる。
この事件についても、注目したいのは裁判である。検挙された僧侶のひとり、小笠原日堂の回顧録『曼陀羅国神不敬事件の真相』(1949年)には、公判でのやりとりが生き生きと描かれている。少々ドラマティックに脚色されすぎている気がしなくもないが、当時の不敬裁判で敢然と闘った宗教者の姿を伝える貴重なドキュメントであることはたしかだ。
被告側の弁論は、不敬容疑は本尊曼荼羅や教義書についての誤解によるものだとし、その正しい解釈を示すという方向で進められた。ごく単純化していえば、日隆は内なる悟り(内証)にしたがって天照太神を「仏菩薩」に分類したのであり、「鬼畜」に分類したという事実はないし、教義書でそれを引用したことにも不敬の意図は存在しないと主張したのである。
第一審では弁論が認められず有罪判決が出たが、控訴院では不敬の犯意があったとはいえないと認められ、無罪となっている。検察側はこれを不服として上告したが、大審院は控訴院への差し戻しを決定、そのまま敗戦を迎えて免訴となり事件は消滅してしまった。
本事件を考えるうえで重要なのは、本門法華宗の僧侶たちがこの弾圧を宗祖・日蓮が予言した法難と位置づけ、国家に対して日蓮仏教の正統性を認めさせるための「公場対決」として裁判に臨んだことである。公判を前に、日蓮ゆかりの比叡山・無動寺谷に籠もって7日間の願行にいそしむほどの意気込みだった。
とくに控訴院では、控訴を取り下げるよう迫る裁判長に対して、被告らはこのように訴えかけた。「日蓮上人出世して始めて日本の仏法現われ、神とは何ぞや、仏とは何んぞやの根本問題の本質を明らかにし、その統合的総体を一紙に書き顕したのが曼荼羅本尊であります。その曼荼羅の中心に日本国体明徴の根元が示されています」「日本の仏教がハッキリしなければ聖戦の内容がなくなると私等は信じて居ります。何故ならば大東亜圏というのは仏教流布の国土でありますから、この本家本元の日本が神と仏が対立し、その本質が分らんようでは駄目だと思います」「何卒本件を通うじて万人、万国よろこんで帰一出来る日本国体の根源を明らかにし、お国の一大事を救うていただきたいのであります」と。
すると裁判長は瞑目して考え込み、「そうか、そういう事情があるならば考えてみる」と答え、二審での無罪判決につながったという。
また著者の小笠原も、取り調べで曼荼羅本尊が「日本の柱」というべきものであるとする自説を展開した。はじめは居丈高にふるまっていた検察官も、最後には小笠原の説法に論破されて黙り込んでしまったようだ。
1981年奈良県生まれ。2004年大阪大学文学部人文学科卒業。11年同大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。南山宗教文化研究所研究員、日本学術振興会特別研究員などを経て、現職。著書に『新宗教と総力戦』(日本宗教学会賞、日本思想史学会奨励賞)、『宗教文化は誰のものか』がある。