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問芝志保 なぜ御先祖様を崇拝するのか

近代日本の墓と弔い
問芝志保(日本学術振興会特別研究員PD)

近代日本のアイデンティティ

 墓の画一化を促したのは、日本人の死生観や霊魂観の変化よりもむしろ、近代日本で「あるべき国家・都市像」や「あるべき国民像」とともに考え出された「日本人としてあるべき先祖の祀り方、墓のあり方」構想であった。実は、近代国民国家の樹立を目指す日本にとって、祖先崇拝をいかに解釈するかは大きな問題であった。

 というのも、19世紀の西洋では祖先崇拝(Ancestor Worshipの翻訳語。日常的には「先祖の供養 まつり」と言うことが多い)を、祖先の霊力を畏怖し崇拝する未開社会の人々の迷信的呪術として捉えていたためである。当時の人文社会系諸学は、今日では全く放棄されている社会進化論を自明の枠組みとしていた。そのなかで宗教学・人類学・社会学は、宗教の進化の過程を解明しようとし、未開社会とみなされたアフリカやアジア、中南米、オセアニアの先住民社会の信仰体系を調査研究して、フェティシズム(呪物崇拝)やアニミズム(精霊信仰)、マナイズム(呪力崇拝)、トーテミズム(集団の象徴への崇拝)、シャーマニズム(巫術(ふじゅつ))、祖先崇拝などを見出した。そして人類の宗教はそれら最古の形態から、いくつかの段階を経て、最終的には一神教へと進化すると論じたのだ(月本昭男編『宗教の誕生――宗教の起源・古代の宗教』)。

 もっとも、フランスの歴史家フュステル・ド・クーランジュやイギリスの社会学者ハーバート・スペンサーが、祖先崇拝を未開人特有のものとみなす通説を批判し、古代ヨーロッパでも行われていた通文化的・普遍的習俗だと論じたことは重要である。しかしそれでも、祖先崇拝は未開社会のもので、いまだに祖先崇拝を行っている人々は未開人との認識に変わりはなかった。

 西洋に並ぶ一等国を目指した近代日本の知識人たちにとって、祖先崇拝を行っている非文明的な国というレッテルを貼られることは致命的となりえた。そこで大胆にも、西洋の知識人たちに対して、わが国の祖先崇拝は決して非文明的ではないと力説した日本人がいた。明治民法の起草者である穂積陳重(ほづみのぶしげ)(1855~1926)である。若くしてイギリス・ドイツで法学を修め、日本初の法学博士として東京帝国大学教授、法学部長も歴任した人物で、渋沢栄一の長女歌子の夫としても知られる。

 穂積は1899年ローマに渡り、"Ancestor-Worship and Japanese Law"と題して日本の祖先崇拝と明治民法に関する英語講演を行った。この講演は、不平等条約改正の途にあった日本にとって、自国がドイツよりも早く民法典編纂を実現した近代国家であることを対外的にアピールする絶好の機会であり、大変重大な国家的任務であった。

 穂積はまず、ド・クーランジュの主著『古代都市』など西洋の学説を多数引用しながら、祖先崇拝は通文化的習俗であり、西洋でもかつては行われていたが今は衰退していると述べた。そして、他国に侵略統治されず万世一系の天皇をいただき、民族の固有性も保持されている日本だからこそ、祖先崇拝の習俗を今日も存続できており、それが社会統合にきわめて有用で、だからこそアジアでもいち早く近代国家化に成功しえたことを論じた。

 この講演は2年後には英語と独語で書籍化され、日本独特の社会や文化を知るうえでの必読書として欧米の学界で広く読まれた。

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