文明国にふさわしい墓を
良き伝統、国民的習俗であるとの認識が一般に定着すると、今度は「それにもかかわらず墓地が荒れているのはおかしい」という話が浮上してくる。外国人の視線にさらされやすい都心部の寺院墓地は当時、墓石が密集し、雑草の繁茂する、水木しげるの漫画『墓場鬼太郎』に描かれたような景観であった。
さらに柳田國男の文章が記すように、昭和初期の激しい景気の浮沈のなかで無縁墓も目立って増加していた。他方で見上げるほど大きな墓を誇らしげに建てる人もいれば、やや奇をてらった風変わりなデザインの墓も登場していた。
しかも冒頭に述べたように全国的には依然として葬送習俗は多様で、政府の立場からすれば近代国家として統制が取れておらず、悪習が残存している状態であった。
西洋に並ぶ一等国、かつ祖先崇拝を伝統とする国である日本にふさわしい墓地景観の構想が始まった。東京市公園課の技師、井下(いのした)清(1884~1973、のちに課長となる)がドイツの墓地をモデルに自然豊かで散歩を楽しめるような墓地を設計し、それをもとに1923年、東京郊外に日本初の公園墓地である多磨墓地(のちに多磨霊園へ改称)が開設された。ところが当時の多磨墓地は原野のようなところにあり、アクセスが未整備だったためほとんど売れていなかった。そのうえ半年後には関東大震災が発生してしまう。
東京から横浜あたりにかけて、既存の墓地に建てられていた多くの墓が倒壊してしまった。そこで新しい墓石は衛生的で、荘厳で見目好く、省スペースで、少々の地震ではビクともしないような下部構造のものへ改良しようと、井下が主導して考案したのが、我々のよく知る家墓だった。家墓は震災復興事業として改修された墓地や、新設霊園で続々と導入されていった。
(『中央公論』2022年2月号より抜粋)
1984年北海道生まれ。筑波大学第二学群比較文化学類卒業、同大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)。専門は宗教社会学、近代日本宗教史。著書に『先祖祭祀と墓制の近代』。