イタコの「商売」
イタコがいつの頃から活動していたかは判然としない。しかし、近世後期の1788年(天明8)に盛岡を訪れた旅行家・菅江真澄(すがえますみ)の日記には、すでに「盲巫女(いたこ)」の文字を見出すことができる。「盲巫女」の表記が示すように、従来、イタコは視覚に何らかの障がいを有する女性の職業として成立してきた。
東北地方にはイタコの他にも、エジッコ・エンジコ(秋田県南部)、オガミン・オガミサマ(岩手県南部、宮城県)、オナカマ(山形県最上・村山地方)、ワカ・ワカミコ(福島県、山形県置賜(おきたま)地方)、ミコ・ミゴ(山形県庄内地方)、アズサ・モリコ(福島県浜通り)といった口寄ミコが存在してきたが、この特徴は共通して見られるものである。
イタコが自身の活動を「商売」と称し、依頼者を「お客」と呼ぶ状況には、宗教儀礼であると同時に、生業という経済的側面を持ち合わせてきた、イタコの巫業(ふぎょう)の性格が表れているといえよう。
イタコの商売は大別すると、シャーマン的な能力に依拠した商売と、そうではない商売の二つに分けられる。他界の存在とのやり取りを伴う前者の筆頭は、口寄せと託宣である。基本的に、口寄せは死者の領域、託宣は神の領域を対象とした儀礼と捉えられるが、口寄せでは、時に生きている者の魂を呼びだす「生口(いきくち)」を行う場合もある。その意味では、口寄せが人間の魂の領域を扱い、託宣は神の領域を扱うものと捉える方が適切かもしれない。
一方、特にシャーマン的能力に基づかない商売としては、算木(さんぎ)、筮竹(ぜいちく)、数珠などの道具を使用した占いや、まじないといった諸種の儀礼が挙げられる。もちろん、ミコに固有の能力を発揮する点で、口寄せや託宣がイタコを代表する商売なのは間違いない。しかし、これらは時期や場所を定めて行われる儀礼であり、むしろ依頼者の求めに応じて適宜実施されるという意味では、後者が普段の商売だといえる。
例えば、青森県に暮らす筆者の祖母は、次男が生まれたばかりの頃、近所のイタコに「虫封じ」を頼みに行ったという。民間信仰の領域において、乳児の夜泣きや癇癪は、身体のなかにいる「虫」の仕業だと考えられてきた。息子の夜泣きに悩まされた祖母は、手近な解決手段としてイタコに「虫封じ」のまじないをお願いしたわけである。ここには、普段の商売を介して地域の人々と結びつく、身近な存在としてのイタコの姿が見て取れよう。
前述した真澄の日記には、すでに「神おろし(託宣)」「いのりかぢ(祈祷加持)」「すずのうらとひ(占い)」「なきたまよばひ(死者の口寄せ)」といった商売の名称が挙げられている。これらの技法をもって、イタコは長らく地域の人々の様々な希求に応えてきた。ムラのなかに一人はいて、困った時に相談に行けるような存在。イタコは、地域社会の日常に組み込まれた、そんなありふれた存在だったわけである。