通史の醍醐味
北条氏は、義時の姉北条政子が鎌倉幕府初代将軍源頼朝の妻となったことをきっかけに、幕府内で権力を握った。鎌倉時代を通じて将軍の後見である執権・連署(副執権)を一族で独占し、寄合衆や評定衆、引付衆といった幕府の要職も一族でその多くを占めた。
鎌倉時代後期には、大族となった北条氏全体の当主(得宗〔とくそう〕と呼ばれた)に権力が集中していった。後醍醐天皇皇子の護良(もりよし)親王が、幕府打倒を命じる令旨〔りょうじ〕(皇族の命令書)を出した際、倒すべき幕府のトップとして名指しされたのは、時の将軍守邦(もりくに)親王でも現役の執権であった赤橋(北条)守時でもなかった。執権を退き幕府内で何の役職にも就いていなかった、ただ北条氏の当主であるというだけの得宗北条高時であった。当時の人々には、高時が実質的に幕府の頂点に立っていると認識されていたのである。
その高時の死をもって鎌倉幕府は滅亡したと、当時も、そして現在も理解されている。北条氏は鎌倉幕府とともにあったといえる。
そんな北条氏の生きた鎌倉時代とは、どのような時代だったのだろうか。鎌倉時代の通史を記した本は多数出版されているが、中でも石井進『鎌倉幕府』(日本の歴史7、中公文庫、2004年、初刊1965年)、黒田俊雄『蒙古襲来』(日本の歴史8、中公文庫、2004年、初刊1965年)は、半世紀以上前の刊行でありながら、現在でも決して古臭くなどない。むしろ読みやすく時に感動的な文章で記される内容は、今も学術研究のうえでも拠るべき基本となっている。
この2冊で源頼朝挙兵から鎌倉幕府滅亡までカバーできるのも魅力だろう。2004年刊行の新装改版バージョンには、研究者による解説が加えられ、それぞれの書籍の歴史学上の意義、その後の研究の動向なども知ることができる。