「エアコンはありますか?」
と聞かれてガッカリしました
張の友人の朱学成(仮名、二十二歳)は「大学だけでは勉強が足りないから」と大学院に進学し、将来は地元の四川省に帰って地方公務員になることを夢見る堅実な学生だ。朱も中国人であることに誇りと自信を感じている。近々、中国共産党に入党したいと考えており、申請書を取り寄せたところだ。
「外国人から見れば中国共産党に対してさまざまな意見もあるでしょう。でも、私の両親が幼いとき、中国は貧しくて食べるものすら十分に行き渡らなかった。今の中国はどうでしょう。中国共産党は国全体の生活水準をここまで上げることに成功しました。すばらしいことではないでしょうか。私も党員となり、国に貢献したいのです」
国家に誇りを持つ朱は〇八年に日本に二週間だけ短期留学した。その際、思わず苦笑するような出来事があった。
「ホームステイ先で日本人のホストファミリーに親切にしてもらったのですが、『中国にはエアコンはありますか?』とか『マクドナルドは知っていますか?』と真顔で、しかも遠慮がちに聞くのです(笑)。これだけ情報が氾濫している日本で昔の貧しいイメージを引きずっている人がいるなんて......。驚くと同時に、ちょっとガッカリしましたね」
銀座でブランドものを買い漁る中国人を戸惑いの表情で見つめる日本人と、「人民服に砂埃」という旧来のイメージをまだ払拭できずにいる日本人。日本のマスコミの偏った報道に踊らされ、「等身大の中国」や「普通の中国人」を公平な目で見極められないでいる日本人がいることは確かだろう。
ただ、中国の発展のスピードがあまりにも速すぎるのも事実。そうこうしている間に、朱のような若者は経済成長を自身のエネルギーに変えて前へ前へと突っ走っている。三ヵ月、いや一ヵ月としてその場に踏みとどまらないほど、中国は驀進しているのだ。
日本語は私の身を助けてくれる
しかし国家の繁栄は、そこに住む人々にも大いなる自信とパワーをつけてくれる反面、プレッシャーや苦悩も内包させている。その思いは大学生よりも、世間に出て働く社会人のほうにより強くあるようだ。
子どもの頃から頭脳明晰だった劉偉(仮名、二十九歳)は十三歳のとき、両親の期待を背負って地元で有名な外国語学院附属中学に入学。英語学科に入るつもりが、なぜか日本語学科に組み込まれてしまい「興味がないのに、仕方なく日本と付き合うことになってしまった」経歴を持つ。
推薦で入った北京外国語大学日本語学科を卒業後、特許事務所に就職。翻訳などの仕事をしていたが、日本語から離れたいと猛勉強し、〇八年に司法試験に合格。現在は弁護士として活躍している。二十代の若さながら両親の助けを借りずに自分で北京市内にマンションを買い、マイカーも手に入れた。
その劉が意外にも来年は日本への留学を考えているという。
「弁護士になった当初、日本語とはようやく縁が切れたと清々しましたが、そうではなかった。今の中国でトップクラスの仕事をするなら必ず激しい競争に巻き込まれる。中国と経済的な結びつきが強い日本の法律を身につければ、仕事も増えるし、他の弁護士よりも有利になるとわかったのです。悲しいかな、自分にとって一〇年間学んだ日本語は、もはや切っても切れないもの。むしろ仕事上は私の身を助けてくれる存在になっていました」
とはいえ、出張などで出会ったことがある日本人については「コーヒーとお酒が大好きで、心の扉を閉ざしている」と冷めた目で見ているが、ともかく仕事のため、日本の大学院に入り、日本通の弁護士としてキャリアアップを図りたい考えだ。だが、これだけの実力を備えたエリートの劉でさえ、経済成長著しい中国に住むことは、ある種の倦怠感、無気力感を感じることが多いという。
「みんなストレスまみれですよ。賃金は上がっているけれど物価も上がっているから生活は豊かじゃない。いつもイライラしている人が多い。?拝金病?を患うのはよいことだと信じている人もいる。昔貧しかった反動なのか、目に見えない魔物に追われるようにガツガツお金を貯め込んでいる。お金は不安に打ち勝つための『安定剤』なのかもしれません。飲み続けないと死んでしまうのです」
「オタク」は、
世界では断然よい言葉
メディア関係者を多数輩出する名門、伝媒大学を卒業し、出版社に勤務する前出の呉傑も日本留学が決まっている。
呉自身は大学教授の両親のもとに生まれ、何不自由なく育ったことから「自分は運がよかった」というが、それでもインターネットが大好きなのに、政府の情報統制が内輪のコミュニティサイトにまで侵入してきていることに対してイラつきや不満、息苦しさを覚えている。
日本に対して以前は「中国の隣にそびえ立つ強国」という印象を持っていたが、〇四年に東京ゲームショウの取材をするため初来日。そのときにアニメの一秒一秒の画質にも決して妥協を許さない、日本人のオタク魂を知り身近に感じるようになったという。
「大人はいつも『若者はダメだ』というけれど、私の目から見れば昔の日本人も今の日本人も本質は変わらない。草食男子だって日本人の魂を持っていますよ。目的がないとか内向的だとかいうのは若者のせいではなくて社会のせいでしょう。私たちは日本語を勉強すれば、日系企業の仕事につくチャンスがあるし、他の人より高い給料を得ることができる。しかし、今の日本ではチャンスの数自体が少ないし、国の成長が止まっているのですから、日本人が留学したくないという気持ちはよくわかります。だって、その先の明るい未来が想像できないんですから」
「でも、ひとつのゲームを三日間黙々とやり続けることができる日本人はすごいです。ただひたすらに、真っ直ぐ突き進んでいくのが日本人の特徴。一途だから日本人は強いし、逆にいえば、海外の文化や外国人の考え方を柔軟に受け入れられないのは一途であるがゆえ。頑固者だともいえますね。オタクという言葉は日本では悪い意味も含まれているかもしれないけど、世界では断然よい言葉。私は日本のオタク文化を研究してみたいと思っています」
明治維新は最重要課題です
今回の取材は中国漁船衝突事件前に行っていたが、多少なりとも日本と関わりを持ったことがある北京のエリートたちは、日中間に摩擦があろうとなかろうと、アメリカと同様、日本という隣国を強く意識し、日本に対して一定の理解と関心を持っていることがよくわかった。私はその源泉にあると思われる中国人の共通体験を、前出の鄭一芝の取材から偶然知ることができた。
鄭は北京の大学院で日本研究を行い、新潟県にも留学したことのある日本通だ。日系企業に入社し、日本人の総経理をサポートする重要なポストについている。さすがにビジネスの最前線にいるだけあって、鄭が話す日本語は通訳ができるほどのレベルだった。
そんな鄭も他の中国人と同様、学生時代に戦争の事実を学んできたが、初めて日本を興味深く意識したのは中学二、三年生の頃に受けた歴史の授業がきっかけだったという。それは試験で出たこんな課題からだった。
「康有為の百日維新は失敗したのに、日本の明治維新はなぜ成功したのですか? 詳しく述べなさい」
日本人からすると、歴史というにはあまりにも具体的で現実的な課題のように見えるが、あとで前出の呉にたずねたところ、中国の歴史の授業ではフランス革命など世界の七大革命を学ぶことは大きなポイントで、中でも明治維新は最重要課題なのだという。大学受験の問題としてもよく出題される。
「孫文の辛亥革命も失敗しましたが、中国の革命と比べて日本の革命はなぜ成功したのか。日本のどこがよかったのかを徹底的に学ばされました」(呉)
呉の記憶では「侍の子は侍、下級武士の子は下級武士で、江戸時代の日本では下から上に這い上がるルートはなく社会が硬直化していた。でも、腐敗が進んだ江戸幕府の臨界点は近づいていて『日本を変えなければいけない』という気運が高まり、大きなうねりとなっていく中で坂本龍馬のような傑出した人物が現れ、革命を成し遂げることができた」と学んだという。
呉は続ける。
「翻って、現在の中国はどうなのだろうかと思います。日本の過去の経験を学んできて、近年も日本のバブル崩壊の轍を踏まないようにとか、日本のように経済が興隆してもアメリカにつぶされないようにするにはどうしたらよいかなど、いつも日本を先例にして研究をしているようですが、下から上に上がれる中国伝統の科挙制度はなくなり、お金がないものには平等なチャンスが与えられない世の中です」
「以前、最高学府だった大学は貧しい者でも人生を一発逆転できるチャンスの場でしたが、九〇年代後半から政府が大学生数を急激に増やすよう方向転換した結果、雇用できないほどの大量の大学生を生み出し、大学が実利主義に走る結果となりました。今の中国も江戸時代同様、不満が鬱積していると思います」
富める者はより富み、貧しい者はより貧しくなるという意味では、日本も今の中国と体制は違えど、重なる部分があるのかもしれない。
世界地図から絶対消えない国
取材をほぼ終えた頃、以前日本に留学していて、本誌七月号でインタビューした前出の張成と半年ぶりに再会した。相変わらず、他の学生より頭三つ分ぐらい抜きん出るほど優秀で、落ち着いた風貌は変わっていない。北京に戻ったばかりの張は北京大学を卒業後に再び日本に留学すべく、早くも準備を始めているところだと話してくれた。
政治学の研究者を志している張は、今後しばらくは中国から日本という国をウォッチすることになるが、昨今の日本人の極端な内向き現象は気にかかるところだという。
「私が生まれた年、一九八九年に発行された『「NO」と言える日本』という本を読んだのですが、今の日本はまったく逆で保守的な傾向が目立ちます。愛国心を持つことは悪いことではないですが、極端に右傾化していくことは、逆に自信のなさの表れであり、国益につながりません」
「私はこれから『超国家』を研究テーマにしていきたいと考えていますが、日本も中国も、世界地図からは絶対に消えない国。今後、日中間にどんなことがあっても、どちらも引っ越しはできず、隣国として共存していかなくてはなりません。そのことをよく理解した上でお互いに尊重して付き合っていけたらいい。もちろん、付き合っていくのは国だけでなく、私たち、一人ひとりの人間です」
(了)
〔『中央公論』2010年11月号より〕