(『中央公論』2022年8月号より転載)
ロシアのウクライナ侵攻から2ヵ月が経過したころ、新聞や報道番組では中堅世代の欧州と米欧関係の外交・安全保障専門家が一世を風靡していた。言論界の世代交代を象徴するような現象の中心に位置していた一人が、慶應義塾大学教授で同僚の中山俊宏さんだった。
米バイデン政権が、国内政治と社会の深い分断に直面しつつ、ウクライナ危機にどう向き合うか苦悩を重ねながらも、「直接的武力介入以外のことは全てやろうとしている」と、その積極性を強調していたことが印象に残っている。そこには米国政治の専門家としての矜持とともに、日本社会の米国理解を深めるべきとの信念があったように思う。
新緑が鮮やかになりつつあった日の午後に、虚を衝かれるように中山さんがくも膜下出血で倒れ、病院に搬送されたという連絡をご家族から受けた。慶應義塾大学総合政策学部の加茂具樹(かもともき)学部長に緊急連絡した際には、「いったい誰がですか」と念を押されたことをよく覚えている。
いったい誰がですか、は自分自身の思いでもあった。中山さんは前日まで報道番組に出演し、舌鋒鋭く議論を展開したばかりだった。また日々の思考過程を辿るように、高い頻度で更新がなされていた本人のTwitterも、まるで次の投稿を待っているかのようだった。
ご家族の願いもむなしく、中山俊宏さんは永眠した。それは、私にはあまりに非現実的な展開に思えた。5月の連休明けにはプロジェクトの打ち合わせや、共著執筆の相談が予定されていたし、頻繁にやりとりしていたメッセンジャーも、今にも会話を始められそうな雰囲気だったからだ。
大学関係者の緊急会議に参加し、どのように訃報を公表するか思案していたときも、中山さんが親しくしていた海外の関係者に向けた英文ステートメントを下書きしていたときも、「いったい何をやっているんですか」と彼が笑みを浮かべて歩み寄ってくるような感覚に陥っていた。