5月9日に慶應義塾大学が発表した中山さんの訃報は、主要全国紙やNHKなどの報道番組でも報じられた。その反響は凄まじく、日本国内の主要なシンクタンクのみならず、在日米国大使館、米外交問題評議会のシーラ・スミス上級研究員、米ウィルソン・センターが追悼メッセージを発表した。
以降、Twitterでは政官財学問わず多くの関係者が弔意を寄せ、中山さんの言論に注目していた読者からも、逝去を惜しむ声が絶えない。
慶應義塾大学の教職員や学生たちにも大きな動揺が広がった。中山さんとの付き合いが長く、研究分野も比較的近かった私は、授業と研究指導の引き継ぎを担当することになった。中山さんが担当していた授業で教壇に立ち、学生たちに訃報を伝えたときには、不覚にも涙が止まらなかった。
慶應湘南藤沢キャンパス(SFC)の研究棟5階にある中山研究室の前には、今も献花台に多くの生花が飾られている。中山研究会(ゼミ)の学生たちが自ら考案し、メッセージブックが置かれ、コップに注いだジャックダニエルで、献杯ができるようになった。教職員や学生たちが手を合わせ、黙祷をささげている。
中山俊宏さんと私は長い年月を同僚として過ごしたが、専門家としての尊敬以上に、友人としての個人的な思いが強い。本誌が追悼文の寄稿を依頼してくれたことは身に余る光栄だが、私自身は中山さんの専門分野の学術的貢献や評価を語ることはできそうにない。
私が多少なりとも読者に貢献できるとすれば、それは中山俊宏という人間の生き方に強く惹かれた思いを伝えることだ。そこで中山さんのキャリア初期のシンクタンク勤務時代を振り返ることをお許しいただきたい。