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鈴木英司 日中友好の士が中国の獄中で過ごした6年

鈴木英司(元日中青年交流協会理事長)

雑談が「機密情報」に

 では、私が問われた「スパイ罪」とは何だったのでしょうか。手元に判決文があります。

 それには私が10年から16年にかけ、中国政府に「スパイ機関」と認定されている日本のある政府機関の代理人の任務を受け、長期的に国家情報を収集、報告したという罪状が示されています。具体的には、元在日本中国大使館公使参事官の氏と13年12月4日に北京市のレストランで会食した際、中朝関係の情報を尋ね、それを日本政府機関に提供したとしています。

 確かに、友人だった湯氏にお粥を出す店でごちそうになりました。湯氏が自ら電話で席を予約してくれましたが、この時の会話が問題にされたのです。

 会食の直前、北朝鮮の氏の叔父である氏が処刑された疑いがあるというニュースが流れていました。「どうなんですか」と私が何の気なしに尋ねると、湯氏は「知りません」と答えました。

 これが、重要度が高い順に「極秘」「機密」「秘密」「情報」の4段階に分類される中国の国家機密のうち、最も低い「情報」だと認定されたのです。取り調べでも「北朝鮮に関する敏感な話題であり、違法だ」と繰り返し指摘されました。しかし、そもそも湯氏は「知らない」と答えている。明らかなでっち上げです。

 日本政府機関との付き合いがあったのは事実です。ただ、あくまで情報交換というレベルでした。「任務」というのであれば、報酬や経費などが支給されるはずですが、何ももらったことはありません。私は「スパイ行為」との指摘を否定し続けました。1審では、裁判長宛てに私の主張を訴える手紙を中国語で7通書きました。2審でも6通書きました。

 ある日の取り調べで、取調官の一人が突然、「実は君と会ったことがある」と言い出しました。30歳前後の目のぎょろりとした浅黒い顔......。「あ!」と思わず声が出ました。10年、日中友好事業の一環である植林活動のために訪問した遼寧省錦州市で、訪問団長だった私の荷物持ちをした人物でした。彼が「北京から来たボランティア」と自己紹介していたことも思い出しました。

 取調官は長期にわたって私の行動を詳細に把握していました。何月何日何時の飛行機に乗ったとか、「山東省に3回も4回も行った」とか。とんでもないと思いました。


 19年5月21日付の判決文によると、国家安全省はこの日本政府機関をスパイ組織だと認定。国家保密局が、中朝関係の内容は非公開事項であり、海外に違法に提供すれば、刑法で定める「情報」に相当すると認定したとしている。


 取り調べには抵抗を続けましたが、最終的に正式に逮捕されました。監禁場所は「招待所」から、政治犯やテロ容疑者向けとみられる同じ敷地内の拘置所に変わりました。その約3ヵ月後の17年5月25日に起訴となります。容疑を認める供述調書を示され、「拒否はできない」と強要されて、やむを得ず署名しました。

 領事面会は、施設内ではなく裁判所で行われるようになりました。ある日、裁判所へ向かう護送車に乗り込むと、すでに男が一人乗っている。新型コロナウイルス禍の最中で、その男がマスクを外し、私もマスクを外して見つめ合った瞬間、「湯先生!」「鈴木さん!」。ほぼ同時に叫んでいました。

 そう、あの湯本淵氏でした。

 それぞれ手錠のかけられた手を取り合い、「いつ来たんだ?」「囚人番号は何番だ?」。まるで映画のワンシーンのようでした。

 裁判所では、我々はまるで動物の檻のような別々の待機スペースに座らされましたが、湯氏は持参していたビスケットを警官経由で私に届けさせ、「日本語で話しましょう」と囁きかけてきました。例の日本政府機関について「内部に相当なスパイがいます。大変なことです。日本に帰ったら必ず公表してください」と、声を潜めて訴えてきました。

 実際、心当たりがありました。取り調べの際、日本政府機関の職員の顔写真付き身分証の写しを何枚も見せられ、「この人物は知っているか」と一人ひとり、確認を求められたのです。中国の当局があれだけの個人データをなぜ入手できているのか。日本政府機関の情報が筒抜けになっているとしか思えません。

 湯氏が訴追されていたことは全く知りませんでした。判決文を見る限り、私を売るような供述はしていない。しかも、彼の訴追事案は私とは別件でした。ただ、彼は国家公務員であり、スパイとなれば死刑もあり得るかもしれない。中国で一番仲が良かった人でした。今もって悲しくなります。


 中国のニュースサイトを検索しても、湯氏が訴追されたという情報は見当たらない。中国では、国家安全に関わる政治犯の審理は極秘に進められ、公表されないこともよくある。


 判決文では、湯氏とともに、元在名古屋総領事館総領事の名も挙がっています。私のことを「いつも色々質問してくるため(日本政府機関の)協力者だと感じられた」と供述したそうです。この供述にも矛盾を感じます。そんなふうに警戒していたのなら、東京に出張で来るたび、私と閉店間際まで酒を酌み交わすでしょうか。私は彼の奥さんとも古い友人です。


(続きは『中央公論』2023年1月号で)

中央公論 2023年1月号
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鈴木英司(元日中青年交流協会理事長)
◆鈴木英司〔すずきひでじ〕
1957年茨城県生まれ。法政大学大学院修士課程修了。83年に中華全国青年連合会の受け入れで初訪中し、訪中歴は200回超。北京外国語大学などで教鞭をとり、外交関係者などに教え子多数。日中友好7団体の一つである日中協会の理事などを歴任。
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