(『中央公論』2023年3月号より抜粋)
大陸帝国と海洋帝国
──ロシアのウクライナ侵攻が起きて以降、プーチンによる中央集権体制がさまざまな角度から議論されています。あのような体制は、「独裁」と呼びうるものなのでしょうか。
池田 まず「独裁」という言葉そのものが、非常に広い定義で用いられていますよね。
私は、政治制度と人間との関係から独裁という状態を考えます。体制には、政治制度という非人格的な側面と、統治に関わる国家元首や政治家の個々の意思や努力などの人格的側面があります。体制は制度が堅固であるだけでは安定せず、個々人の才能や不断の努力とのバランスにより、ようやく維持されるのだと思います。
独裁が起こる条件の一つには、制度と人間のバランスが極端に崩れ、それまでの体制が解体されていることが挙げられるでしょう。指導者個人の資質と制度との関係が、鋭く問われるものだとも言い換えられます。
君塚先生はこれまで一貫して、歴史において人間というファクターを重視し、人間を軸にした歴史観の復権を強調してこられたと私は理解しています。その意味で「独裁」というテーマをめぐって先生とお話しできることに、強い喜びを感じております。
君塚 ありがとうございます。私はロシア史についてはもちろん素人ですので、まず池田先生にうかがいたいのは、帝政期から革命を経たソ連の時代と、現在のプーチン政権による統治はまったく別のものなのか、あるいはかなり共通しているものなのかという点です。
あのように広大で、かつ諸民族がひしめく領土を治めるには、独裁と言われるような専制的な権力が不可欠なのでしょうか。
池田 実はかなり共通点が多いと見ています。ロシア帝国、ソ連、そして現在のロシアも、法の支配が貫徹していない社会です。人々は階層化されていて、特権層がなかば私的なかたちで政治を司っています。帝政期は皇帝とその周りの官僚貴族が権力を握り、ソ連時代はソ連共産党に権力が集中しました。現在のロシアはプーチンと、彼と関係の深い官僚たちが政治を牛耳っている状況で、その点では非常に似ています。
また、権力から外れている人々をある程度まで統合するために、利権を分配し、議会ないしその代替物を作るという点も共通しています。ここでは指導者のカリスマ性は非常に大きく作用するはずで、人間というファクターは無視できません。
君塚 権力を掌握する人間の力が問われるのは大英帝国も同様なのですが、異なるのは領土と人口の規模でしょう。ロシアは言うまでもなく地続きで、中央が地方を強力にコントロールしなければならなかったはずです。ところがイギリスは17世紀初頭の人口が、アイルランドからグレートブリテン島まで含めて約660万人と、中央集権を行うにはマンパワーがあまりにも乏しい。なので、いわゆる「有益なる怠慢(Salutary Neglect)」、植民地にある程度までの自治権を与えるような統治を行いました。植民地諸国が第二次世界大戦後に独立を果たしていく中でイギリスの撤退が早かったのは、もともと緩く統治していたためなのです。
他方、植民地で厳格な統治を敷いていたフランスは、アルジェリアやインドシナと泥沼の戦争をしています。このあたりに人口の大きな大陸帝国と、小さな海洋帝国との違いが表れているのではないでしょうか。