中心は20代から30代
このブームの中心にいるのは20代から30代の高学歴女性たち、つまり1980年代から90年代生まれの女性である。彼女たちは一人っ子世代で、みな両親と子ども1人の3人家族で育った。子どもが1人しかいないので、おのずと男も女もなく、同じように大事にされ、同じように期待されて、過酷な大学受験を勝ち抜いてきた人たちだ。
この世代は、親が文化大革命中に青春期を過ごした紅衛兵世代であることが多い。自分たちがきちんと教育を受けられなかった分、子どもには十分な教育を受けさせたい、それこそが子どもが一生苦労せずに生きていく唯一の方法であると考える親が多く、そういう社会の空気のなかで育ってきた。大学受験を勝ち抜くことがすべてで、実際、それを勝ち抜いてそれなりの就職をし、ある程度の経済力を持った女性たち、いわゆる「勝ち組」の集団と、その予備軍とも言える。それはつまり、今までの中国にはいなかった、経済力のある高学歴女性の集団なのである。
今、彼女たちは、これまでの女性が持ち得なかった選択肢を持っている。結婚をするかしないか、子どもを産むか産まないか、そして、2人目を産むか産まないか。家事や育児は男性が平等(場合によってはそれ以上)に担うし、退職した両親も家事と育児を引き受けてくれる。
しかし、選択肢が増えることによって悩みが増え、さらに、SNSというツールが普及したことにより、世間の目や、既婚女性とシングル女性、子どもを持つ女性と持たない女性など、女性同士の対立が可視化されたことに戸惑いを覚えている。また、いずれは、現在家事労働を頼っている親の介護のことも考えなければならない。このような前例のない悩みを抱えている彼女たちが、フェミニズムの書籍を手に取るのは自然な流れである。そこに、コロナ禍が起きた。
2021年、中国でその年の10大ネット流行語に選ばれた言葉に「内巻(ネイジュエン)」がある。もとは、文化人類学の用語「involution」の訳語だが、北京大学や清華大学の学生が、大学に入ってからも続く「過酷な競争」を表す言葉として、揶揄をこめて使い始めた。
オンライン百科事典の「百度(バイドウ)百科」によると、この言葉を全国区にしたネット上の文章には、中国でもっとも聡明な若者たちが今、直面している普遍的な状況がこう書かれているという。「極限の競争のなかで成功が成長を押し倒し、仲間同士で一対一の勝負を行い、精根尽き果てている」。
「内巻」は今でも、同じ業界や仲間内で、限られた資源を奪い合う競争の意味で使われている。消耗するばかりで成果を伴わないこうした競争に疲弊した結果生まれたのが、競争自体に参加せず、横になって何もしない「寝そべり族」(同じく2021年の10大ネット流行語)である。
もちろん、競争はコロナ禍前から存在した。しかしコロナ禍以前は、経済発展が続き、「今日より明日はもっとよくなる」と単純に信じられていたし、留学や就職で海外に出るチャンスも多く、奪い合わねばならない資源は今よりも多かった。それがコロナの感染拡大によって海外に出ることもままならなくなった。社会は内向きになり、競争はどんどん激化し、今や大学院を出ていないと採用してくれない大手企業は多い。大卒どころか、修士号、博士号を持つ高学歴の若者が量産されているが、就職状況は厳しいままである。
そんな彼女らに、「がんばってもそれが公正に報われない社会」が存在することを、そして、だからこそ学ばなければならないということを、はっきりと伝えたのが上野の祝辞だった。
(続きは『中央公論』2023年7月号で)
1977年東京都生まれ。96年から単身北京大学に留学。北京大学中文系比較文学および世界文学専攻博士(文学)。著書に『満映電影研究』、訳書に『流浪地球』などがある。北京大学外国語学院明治大学マンガ図書館分館館長も務める。