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ハディ ハーニ パレスチナ・イスラエル紛争の非対称性

ハディ ハーニ(明治大学特任講師)
写真提供:photo AC
 パレスチナの過激派組織ハマースの攻撃に、イスラエルは「報復」としてガザ地区への地上侵攻を開始した。双方の死者が合わせて1万人を超える深刻な事態になっている。パレスチナとイスラエルの衝突は長く、その背景は複雑だが、この問題を考える際には気をつけなければならないことがあるという。パレスチナ問題を研究するハディ ハーニ氏が考察する。
(『中央公論』2023年12月号より抜粋)

二項対立的理解の独善性

 10月7日、パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配する過激派組織のハマースがイスラエルへの大規模攻撃を行った。イスラエルは「強力な報復」を宣言し、ガザ地区への空爆を実施。激しい軍事衝突となり、双方に多数の死者が生じている。

 昨今のパレスチナとイスラエルの状況については様々な意見や解説があるが、基本的な構図を見誤ったものが多く、それはむしろ恒久的平和の実現にとっての障害にもなる。

 筆者は、民族や宗教にかかわらず、平和を求めるすべての人々の権利と共存を支持する。そのうえで、本稿ではこの紛争にまつわる諸言説が抱える問題を検討しながら、「より正しい認識の方法」に迫りたい。

 はじめに、よくある言説の例として、この紛争に関するあらゆる当事者・専門家等の発言を「どちらの側に立っているのか?」というプリズムを介して理解するものがある。この認識の背後には、紛争を単純な二項対立に還元する前提が含まれる。ここでいう二項とは、無論「イスラエル」と「パレスチナ」という、仮象にすぎない共同体である。

 二項対立的理解では、両者を「善か悪か」に独善的に振り分け、単純化して言い切る傾向がある。例えば「テロを実行・容認したパレスチナ側が悪い」や、「そもそも占領をしているイスラエルが悪い」などだ。しかし、二項ともに正義と不正義が混在していることを踏まえると、これらの言説はいずれも誤謬であり、かつ、この論法では一方の不正義を糾弾すると同時に正義も切り捨ててしまう。その点で、この理解は紛争解決にとって害悪でさえある。

 また「どちらが悪いとは言い切れないが、結局はイギリスの三枚舌外交が悪い」という言説もある。しかし主権国家としてのイスラエルの存在が既定のものとなった今、大国でなくなったイギリスが事態に干渉する余地はない。むしろ、この論法には今ある真の責任の所在を隠蔽してしまうという問題がある。

 つまり、これらの「わかりやすい」言説はおよそ誤った単純化に基づく。そして「わかった」経験をした人は、その言説を「正しい」とし、「わからない」言説を「誤っている」とみなす。こうした人間の傾向は、言説そのものの客観的真実性や説得力以外にも、自身のイデオロギー的選好や形而上的信念、「そうだと信じたい」ものによって構成される。まずはそれに注意が必要だ。

 紛争の構図の過度な単純化は、陣営の別にかかわらず、不当な抑圧を助長し、被抑圧者の正当性を傷つけ隠蔽してきた。パレスチナの歴史は、まさにそれを証明している。これを脱するには、単純化から一歩抜け出して紛争を理解しなければならない。真実は常に複雑であることを、我々は直視しなければならないのである。

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