日大闘争の先へ行く勇気がなかった
日大闘争では、学生が校舎の占拠もしました。僕は家が築地にあるから帰るけど、一人暮らしで運動にのめり込んでいる連中は帰らないで学校で寝泊まりをしていた。だから、「お、頑張ってるな」って陣中見舞いに行くわけです。
それこそ、リーダーの秋田明大(あけひろ)さん(日大全共闘の議長を務めた新左翼活動家)ともしゃべったし。普通にいい奴でしたよ。そんなエキセントリックな人でもなんでもない。
安田講堂(東大安田講堂事件/1969年1月18日、東京大学の安田講堂に立てこもる学生たちの排除を目的に機動隊が出動した)のときは、同世代の仲間の姿を見て、涙が出ましたね。
役所広司さんが警察庁の警視正役をやった『突入せよ! あさま山荘事件』って映画があったけど、あれは機動隊側の姿しか映していないわけですよ。でも、その反対側には......と思ってしまう。
もちろん、永田洋子(ひろこ)(連合赤軍元最高幹部)たちが関わったリンチ殺人事件など、あの一連の事件は絶対に許せない。でも、活動に参加している人の中には、田舎から出てきた純朴で優秀な連中もいっぱいいたんですよ。「就職ができなくなったとしても、今のこの状況を変えていかないとダメだ」と立ち上がった連中には、シンパシーを感じていました。
ただ、自分がそこまで行けるかっていうと、そういう勇気はなかった。自分の弱さみたいなものはありましたね。闘うって、やっぱり大変なことじゃないですか。
だって、大学を出て就職するために東京に出てきたはずなのに、それを棒に振る覚悟をしているんだよ。そうまでして闘いの場に留まるっていうのは大変なことだと、当時は思いました。