(『中央公論』2023年10月号より抜粋)
- 脳梗塞の後遺症として
- 思い返せばワーカホリック
- 伝えられるようになるまで
脳梗塞の後遺症として
それまでルポライターとして、主に若者や女性の貧困を取材して原稿を書いていた僕は、2015年5月を境に、〝自分の意志でコントロールできない自分〟と向き合うことになりました。41歳の働き盛りに「脳が壊れる」という経験をしたからです。
病名はアテローム血栓性脳梗塞。動脈硬化の進行によって起きるタイプの脳梗塞で、血管壁に溜まっていくプラークという脂のかたまりの一部がはがれて脳の末梢血管に飛び、脳内の血流が遮断されてしまったことで発症しました。幸い投与された薬がよく効いたおかげで命は助かり、大きな麻痺も残らずに済んだものの、「脳細胞の一部が壊死したことで、高次脳機能障害が残っている」と診断され、8年経った現在も目に見えない障害に悩まされる毎日が続いています。
高次脳機能障害は、僕のように脳卒中(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血)の発症や、事故や手術で脳外傷を負ったことなどで生じる脳の認知機能の障害です。脳梗塞などの病気の程度にかかわらず、身体の麻痺がなくても起こりえます。
この障害が厄介なのは、知覚や記憶、学習、思考、判断といった認知機能全般や、情緒面など、外見上は分からないことに不具合が起きるので、どんな後遺症なのか、周りから見て非常に分かりづらいこと。しかも、脳のどの領域がどの程度損傷したのか、当事者のもともとの性格や職業、どんなことが得手・不得手だったのか等々によって、本人が日常のなかで感じる「不自由」な事柄が変わってくる、非常に個別性が大きい障害なのです。
たとえば、僕自身の高次脳機能障害は、軽度から中等度と診断されていますが、重度な場合は、寝たきりに近い生活の方もいます。また、僕と同じ軽度から中等度という診断の方でも、日々直面する〝困りごと〟が僕とは違うことが多い。
その結果、「高次脳機能障害とはこういうものである」と、一言では説明できず、どうしても当事者像がぼやけてしまう。そのため本来は、自分一人がその代表であるかのように取材を受けるのは誤解を招くと思っています。
ただ、この後遺症はより具体的にお話ししないと、当事者が抱える問題が見えてこない。たとえば、症状が比較的軽いと言われている僕でも、「文章を書く」ということ以外のすべてのパフォーマンスが、以前の自分の半分以下のレベルでしかできない。ところが、パッと見の僕は、よくしゃべり、自分の足でどこへでも出かけていく、いたって活動的な中年男性でしかない(苦笑)。日常的にさまざまな場面で困っているようにはとても見えないわけです。そこで、この「困る」というのがどういうことなのか、あくまで軽度・中等度の一例として、僕自身の体験談をお話しさせていただきます。