鈴木大介 脳が壊れた僕のできること、できないこと――高次脳機能障害の当事者として

鈴木大介(文筆業)

思い返せばワーカホリック

 僕が40歳そこそこで脳梗塞に倒れた原因は、ハードワークと高血圧だったと思います。仕事に忙殺される毎日でしたが、予兆らしきサインも出ていました。脳梗塞になる3ヵ月ほど前に、突然左の手指にこわばりのような違和感が起き、しばらく消えなかったことがあったのです。ただ、一時的なものだったので、ついやり過ごしてしまった。油断しました。

 血圧は以前から高めで、しかもメンタルの影響を受けやすいタイプの高血圧だったので、漫画の原作の執筆で、通常8~10時間、最長で連続16時間缶詰め状態という生活が続いていたあの頃の血圧は、相当高かったと思います。左手に違和感が出たときも、うっすらと「悪いのは脳かもしれない」という嫌な予感があった。でもその一方で、どうせ倒れて人生リセットになるなら行き着くところまで行ってしまえ! と、どこか投げやりな、現実逃避に近い気持ちもあった。まさか、倒れたその後も人生が続くとは思っていなかったのです。

 のちに同じ障害を持つ当事者と話していて感じたのは、僕のように、心臓病などの慢性的な持病がなく40代で脳梗塞を発症する人には、いくつか共通点があることです。どんどん自分を追い詰めていく完璧主義者で、経営者や営業職などのワーカホリック......。

 今の僕は、以前のようなハードワークはしていません。気をつけているというより、そもそも、病前と同じような働き方ができない。脳が疲れるので毎晩7時か8時には寝てしまう生活で、徹夜なんてまったく不可能です。

 一般に、脳卒中で手足に麻痺が残ったり、高次脳機能障害や失語症が出ていたりすると、「できるかぎり病前に近い生活に戻ること」を目標にリハビリすることになるのですが、「後遺症が残る」という現実をなかなか受け入れられず鬱になってしまう人も大変多い。

 また、高次脳機能障害は医療現場の判断で患者に告知されないこともあります。高次脳機能障害は、何年もの長い時間をかけて徐々に回復していく障害である一方、特に身体の麻痺は発症から半年ほどが最も大きな回復を見せる時期なので、この限られた期間にリハビリに集中することを重視するためです。

 身体に重い麻痺のある方のなかには、「これ以上の不自由があることを知りたくない!」という方もいるのです。

 僕の場合は、それとはまったく逆で、過剰分析の傾向が強い。これは右脳損傷に特有の症状でもあります。具体的には、自分に不自由があることに気づくと、その洗い出しにすごくモチベーションが上がってしまう。

 職業柄、その気(け)があったうえに病気で輪をかけて過剰分析気味になった僕は、発症後2~3年は自分が不自由を感じたことをすべてノートに書き出していました。

 実はこれは、一つのことを長く覚えていられなくなったこととも関係しています。常に「書き留めておかないとすべて忘れてしまう」という恐怖心や危機感がある。今でも、あらゆる記憶があいまいなのが僕にとっての日常なので、何でも一度紙に書き出し、外在化して物事を整理することが生活していくうえでの不可欠な作業になっています。

 たとえば、地域の会合に参加して出席簿に丸をつけても、会合が終わる頃には記入したことを忘れてしまう。「鈴木さん、名簿に丸つけた?」と聞かれても、まったく覚えていない。最初の頃は、聞かれるたびにうろたえていましたが、最近では、「あれ、どうだったかな」と言いながらさりげなく目視で確認したり、同じ病気の経験者がいたら正直に話して理解を求めたりと、状況に応じて細かく対応を変えられるようになりました。

 発症から8年という歳月が流れるなかで、やっと今の自分に適した対応が身についてきた印象です。

1  2  3