伝えられるようになるまで
実は、僕は病後2~3年目までは、自分は何が辛いのか、何が苦手なのかを妻などのごく限られた人たち以外に告げることができませんでした。
転機となったのは、5年ほど前のある雑誌の対談です。その日、対談開始直後にスチールカメラのフラッシュがパシャパシャッと強く光った瞬間、僕は頭が真っ白になってしまいました。ところが、幸いにも対談相手が作業療法士さんで、すぐにそれを察して「鈴木さん、今頭のなか、真っ白になっていませんか?」と聞いてくださったのです。
「実はそうなんです」と答えると、彼女はその場にいる方々に向かって「これは高次脳機能障害ではすごく普遍的な症状で......」と説明を始めたので、みんな何が起こっているか理解し、フラッシュを止めて僕が回復するまで待ってくれました。あのときはありがたかったですね。おかげで無事に対談を乗り切れて、僕には「言ったら伝わるんだ」という成功体験ができた。
これを機に、「言っても伝わらないなら言わないほうが楽」というマインドから、その場がちゃんと回るようにするために、予め後遺症に関する対応のお願いをしておこうという発想に変えていきました。
また、発症して日が浅いうちの僕には、「左側の世界を認知しづらい」という症状がありました。医療的には「左半側空間無視」といい、脳の右半球にダメージを受けたことで、視界の左側や見ているものの左半分の情報を処理できなくなるのです。
僕自身の体感としては、「左側に気味の悪い壊れた世界が広がっていて見たくない」というものでしたが、同時に、視線が右(主に上方)に固定され、右側に気になるものがあるとそこで視線ががっちりロックされてしまう症状もありました。こうなると、自力ではどうしても視線を外せない。
ここまで強い症状は1年ほどで緩和しましたが、今も完全になくなったわけではないので、打ち合わせの際などは相手に僕の右側に座っていただくようにお願いしています。
(続きは『中央公論』2023年10月号で)
構成:青木直美
1973年千葉県生まれ。若者や女性の貧困問題を取材するルポライターだったが、2015年脳梗塞を発症。以降、高次脳機能障害者としての体験をもとに『脳が壊れた』『「脳コワさん」支援ガイド』『脳損傷のスズキさん、今日も全滅』などを執筆。著書はほかに『最貧困女子』『ネット右翼になった父』など。