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官主導から官民連携へ 戦後日本スポーツ産業の歩みとは

日本スポーツ産業の過去と未来 アフターコロナを見据えて(第1回)
桂田隆行(株式会社日本政策投資銀行 地域企画部 課長)

施設整備が進んだのは「スポーツ振興法」の影響が大きい(写真提供:写真AC)

民間業者の参入が加速

一方、スポーツ産業に関しては、同法第3条第2項において、「この法律に規定するスポーツの振興に関する施策は、営利のためのスポーツを振興するためのものではない。」と定められていたことから、当時の政府はスポーツをあくまで国民の心身健康と国民生活を高めるためのコンテンツと捉えており、営利目的の産業とは考えていなかったことが見て取れる。

「スポーツ振興法」制定以降のわが国におけるスポーツ施設の整備は、国立霞ヶ丘陸上競技場をはじめとする1964年東京オリンピック・パラリンピック競技大会向けの施設整備を経て、80年頃から、横浜スタジアム、西武ライオンズ球場、東京ドーム、横浜アリーナといった都市部の一部の大規模スタジアム・アリーナ、民間による施設整備が行われるようになった。

そして90年以降は、「なみはやドーム」や「さいたまスーパーアリーナ」のように国際的イベントに対応できる大規模公共体育館も整備されている。

また、施設の運営についても変化が見られる。公共スポーツ施設においては、国や地方自治体などによる整備運営維持管理が行われてきたが、効率的な運営を目的に1990年代後半から民間参入を促す動きが起こり始めている。

99年に成立した「民間資金等の活用による公共施設等の整備等の促進に関する法律(通称:PFI法)」に伴いPFI方式の手法がスポーツ施設の整備運営に採り入れられるようになり、これまでに40箇所のスポーツ施設で導入されている。

さらに2003年の地方自治法改正により、公共的な団体等に限定されていた公の施設の管理運営を民間事業者も含めた幅広い団体(指定管理者)に委ねることができる「指定管理者制度」が導入されており、千葉マリンスタジアム、カシマサッカースタジアムやマツダスタジアムなどで取り入れられている。

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