「政界の狙撃手」の歩み
野中には回顧録に相当するものが何冊もあるが、とりわけ面白いのは最後に聞き取りを受けた『聞き書野中広務回顧録』だ。政界引退から日が経っているためか、他の本に比べて口が軽くなっている。だから、おっと思うような話を次から次へとさらりと喋るのである。
野中は後藤田と違い、権力闘争の真っ只中に身をおいた。1992年の竹下派分裂抗争で頭角を現し、自民党が下野すると裏情報で政権を揺さぶり、政権復帰後は官房長官や幹事長に就き、影の実力者として君臨した。
圧巻は、小泉内閣時代のハンセン病国家賠償訴訟で政府が控訴断念するときのこと。患者の代表が頼ったのは野中であった。野中は「いまは小泉総理の時代だ。俺が目立ったら、彼は意地でも控訴しようとする」と言って裏方に徹し、小泉首相の手柄になるようにして、ことの解決を図った。後藤田の箇所で記した意味でいう、見事な「調整」である。
このように陰の人として振る舞いもしたが、野中はときに恫喝し、ときに政敵と手を組むことで影の実力者として権勢をふるった。情も深かったが、それ以上に苛烈な政治家であった。不人気を極めた森内閣のとき、「次の総理に」との声もあがったが野中は色気を示さなかった。それは本書で語っていく竹下登や小渕恵三、ナンバー2タイプからはみ出していった梶山静六を間近で見ていたからだ。政局的な技術は持ち合わせていたが、彼らほどの政治への見識も首相を務めるための準備もないことを野中は自覚していたのである。