(『中央公論』2021年12月号より抜粋)
- ナンバー2の器
- 「政界の狙撃手」の歩み
- 毒舌政治家・宮澤喜一
- 竹下登の真骨頂
- 新党ブームと政治家本刊行ラッシュ
ナンバー2の器
影の総理、影の実力者と持て囃されるうち、ナンバー2止まりの器量にもかかわらず、総理大臣になってしまった。――菅義偉のことである。一方で、身の程をわきまえて自制したのが後藤田正晴であり、野中広務であったろう。まずはこの2人の回顧録から紹介したい。ナンバー2型の政治家の面白さがそれぞれにある。
後藤田は内務官僚として官界に入り、その頂点である官房副長官を務めた後、田中角栄に乞われて62歳で国会議員となる。『情と理』は、そんなふうに官僚・政治家それぞれを経験した後藤田のオーラルヒストリーだ。本書からうかがえるのは、官僚の限界を知るがゆえの政治家、とりわけ党人派の竹下登や金丸信、田中六助らへの畏敬の念である。国家的エリート出身で、理の政治家である後藤田は、彼らのような情の政治家を低く見ているものとばかり思い込んでいたが、そうではなかった。
何ごとも理屈を押しつけようとすれば、抵抗する者が出てきて、かえって進まなくなるものだ。では、何が物事を進めるのかといえば情の政治家が得意とする「調整」である。そう聞くと「義理人情」や「足して二で割る」型の妥協の政治と思ってしまいそうだ。しかし後藤田の話を聞くと、調整とは多くの人を巻き込んでいくことなのだとわかる。そのためには政治の世界に張りめぐらされた人間関係のネットワークへの理解と、行動を起こす情念が不可欠になる。後藤田は同じく官僚出身の宮澤喜一を「頭が良すぎて先が見え過ぎるんですね。だから、やろうとすることに勢いがない」と評するのだが、それは自分自身を省みて言っているようにも思える。
また後藤田は初めての選挙で大量の逮捕者を出し、おまけに落選する。そのことで「人間が変わっちゃったよ」と言い、「目線が、有権者の目線に下がらなかったら選挙には勝てない」と感じ取っている。この挫折の経験が、党人派などの政治家に対する畏れを含んだ観察眼につながっていったのだろう。