意外にも面白い政治家本の世界 urbansea
毒舌政治家・宮澤喜一
ナンバー2はどんなに実力者であったとしても時代の伴走者で、歴史をつくるのはトップだ。米国の大統領は退任後に回顧録を残すのが慣例で、それは歴史の史料になりもする。日本だと吉田茂『回想十年』が有名だが、近年の首相はどうか。
たとえば海部俊樹は『政治とカネ 海部俊樹回顧録』を新潮新書から出している。首相在任中に、ベルリンの壁が崩れ、イラクのクウェート侵攻をきっかけに湾岸戦争が始まり、それに伴って自衛隊のペルシャ湾派遣を決定するなど、国際政治が激動する時代の首相を務めた。それでいて回顧録は新書である。この軽さが海部を体現しているようにも思える。
そもそも首相になったのは、89年8月の自民党総裁選で最大派閥の竹下派に担ぎ出されたからである。その当時を「修羅場、人間の本性、一国の首相という権力に渦巻く欲望......あれは、まさにこの世の縮図を見た一一日間だった」と振り返る。国際政治よりも自民党の権力闘争のほうが複雑怪奇であったかのようだ。
海部に対する人物評では当時幹事長だった小沢一郎が口にしたという「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」が有名だ。しかし、海部を最も不快にしたのは、宮澤喜一の発言だったと本書で明かしている。それは「海部さんは、一生懸命おやりになっているけれど、何しろ高校野球のピッチャーですからねぇ」というものであった。
そんな口の悪い宮澤喜一のオーラルヒストリーが『聞き書宮澤喜一回顧録』だ。宮澤は東大法学部・大蔵省のエリートコースを進み、そのため学歴で人を見て、英語が得意なことを鼻にかける人物だったと言われる。本書でも「学生の時代から政治の動きにはかなりconscious〔自覚的〕であったんだろうと思います」という調子だ。
宮澤政権のおり、元副総裁の金丸が逮捕される。そのときの法務大臣は後藤田であった。当時、東大法学部から官僚になったエスタブリッシュメントの宮澤―後藤田ラインが、カネにものを言わせて政界を牛耳る金丸を国家権力によって葬った、との見立てもあった。本書では金丸と後藤田、この対極の2人について併せて人物評を聞いている。そこで宮澤は金丸について「非常に頭がいいし、仕事はよくわかる」「遠慮しいしいで、そういう意味では秩序を重んじていた人」などと高く評価。一方で後藤田については「通俗的な意味でのハト派」と呼んでいる。この言い草の裏には、保守本流の政治家であるとの自負があろう。こうした政治観とシニカルな性格が同居しているのが宮澤の面白さである。