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井上智洋 「新しい資本主義」の内実を読み解く

キシダノミクスはどこへ向かうのか
井上智洋(駒澤大学准教授)
 岸田政権が掲げた「新しい資本主義」。それは新自由主義からの転換なのか、それとも……。経済政策の視点から、その実情を考える。
(『中央公論』2022年1月号より抜粋)
  1. 「ネオリベ」からの転換? それとも新社会主義?
  2. 経済政策を三つに分ける
  3. 「新しい資本主義実現会議」の人選と提言を読み解く

「ネオリベ」からの転換? それとも新社会主義?

 岸田政権が掲げる「新しい資本主義」とは何だろうか? それは当初、「新自由主義からの転換」を意味していたようだ。ただ、新自由主義――いわゆる「ネオリベ」という言葉は、レッテル貼りに使われることが多いので、注意しなければならない。

 もちろん、ここ数十年間の日本では、国営事業の民営化や最高税率の引き下げ、株主重視の経営が進んできたので、それらを新自由主義的と呼べないことはない。

 だとしても、新自由主義からの転換そのものに「新しい」要素はないだろう。それは新自由主義的ではなかった時代に戻るだけの話であって、むしろ「古き良き資本主義への回帰」と言った方が腑に落ちる。事実、岸田首相は「令和版の所得倍増」「デジタル田園都市国家構想」など、昭和を想起させる言葉を多く口にしている。

 ただ、ことさら目くじらを立てる必要はない。「新しい資本主義」は、ひとまず「キシダノミクス」(岸田政権の経済政策)を意味するものと心得ておけば良いだろう。これまで「新しい資本主義」というキャッチフレーズは、「スカスカで不気味」(経済評論家の山崎元(はじめ)氏)、「新しいバブル」(慶應義塾大学大学院准教授の小幡績(せき)氏)などと散々な評価を受けている。

 楽天グループの三木谷浩史会長兼社長が代表理事を務める新経済連盟もまた、岸田政権発足直後の2021年10月6日に「新しい資本主義」を批判する声明を発表した。

 だが、この声明は、「日本経済再生」を謳い、「成長を最優先」すべきだと主張しているものの、長く続いたデフレ・低インフレをどうするかといったマクロ経済的な視点を欠いている。

 こうした批判を真に受けると、日本がますます弱者にとって住みにくい新自由主義的な方向へと進みかねないものと危惧される。

 また声明では、労働分配率の変更(賃金引き上げ)や金融所得課税の強化に反対するとともに、「個人所得税の最高税率の引き下げ」「相続税の引き下げ」などを提唱している。そういった提唱を頭ごなしに否定するつもりはないが、マクロ経済的な視点が見られない中で提唱されれば、単なる経営者・金持ち優遇策にしか映らない。

 所得税や相続税を減税する分、消費税率を引き上げるのか国債を発行するのかも定かでなく、熟慮なしに慌てて自分たちの利益を主張したかのように見える。経済団体が構成員の利益を主張するのは当然のことかもしれないが、そうであればかかる主張についてはまともに取り合うべきものとは思われない。

 さらに三木谷氏は、10月8日にツイッターで「新資本主義ではなく、新社会主義にしか聞こえない」などと岸田政権を批判している。「社会主義」もまたレッテル貼りに使われがちなので、こうした批判は混乱を招く恐れがあるだろう。

 社会主義は、一般には旧ソ連などで採用されていたような「計画経済」を指し示す。中央当局が一国の経済全体をコントロールする体制であり、失敗に終わったものとして語られる。

 他方で、北欧諸国のような高度な福祉国家の体制を社会民主主義的と位置付けて、広い意味での社会主義に分類することも可能だ。北欧諸国は幸福度ランキングの上位を占めており、こちらは成功事例として語られることが多い。

 当たり前だが、岸田首相の提唱する「新しい資本主義」と旧ソ連の体制に類似性はほとんどない。強いて挙げれば、金融所得課税の強化が、不労所得者への懲罰に見えないこともないという点だ。それにしたって、税率を少々引き上げるだけのことであって、旧ソ連のような体制に転換する話とは次元が異なる。

 岸田首相が就任当初にとっていた分配重視の姿勢は、むしろ北欧諸国のような福祉国家に通じるものがあった。それにもかかわらず「社会主義」と名指せば、負のイメージを付与することが可能だ。したがって、「新社会主義にしか聞こえない」という表現は、無駄に岸田政権をおとしめる役割しか果たしていない。

 以上のように、新経済連盟や三木谷氏による「新しい資本主義」に対する批判は妥当性を欠くものであった。とはいえ、筆者は日本でIT分野での起業がもっと盛んになるべきと考えており、その点は新経済連盟や三木谷氏の助言を傾聴する必要があると思っている。

 一方で、優れた経営者が優れた政治的発言をする保証は全くない。というのも、ミクロ的な最適化がマクロ的な最適化をもたらすとは限らないからだ。経営者はリストラで経営効率を高められる場合があるが、国家は国民をリストラすることなどできない。

 また、どんなに企業が生産効率を高め供給力を増大させることに成功したとしても、人々にその商品を消費するだけの購買力がなければ経済成長には繋がらない。こうした購買力はマクロ経済政策や再分配政策によって強められる。

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