井上智洋 「新しい資本主義」の内実を読み解く
「新しい資本主義実現会議」の人選と提言を読み解く
10月15日には「新しい資本主義実現会議」の構成員15人が公表された。メンバーの多くは企業経営者であり、分配政策の重要性を訴えてきた学者などは見当たらない。関連するのは、日本労働組合総連合会会長の芳野友子(よしのともこ)氏くらいである。
経済学者・エコノミストとしては、東京大学大学院経済学研究科教授の柳川範之氏と日本総合研究所理事長の翁(おきな)百合氏がメンバーに選出されているが、彼らはいずれもミクロ経済政策に関する議論に傾注してきた人物だ。
筆者はAIが経済に与える影響の重要性をたびたび論じてきたので、東京大学大学院工学系研究科教授でAI研究の第一人者である松尾豊氏の選出は特筆すべき点だと考えている。ただ、松尾氏もミクロ経済政策に関わるメンバーとして位置付けられる。
個々のメンバーの選出に異論があるわけではなく、いずれも立派な方々だろう。しかし、「新しい資本主義」という名のキシダノミクスを具体化するための会議として見た場合、メンバー構成はバランスを欠いていると言わざるを得ない。マクロ経済政策や分配政策に関わるメンバーを増やす必要がある。
新しい資本主義実現会議の緊急提言が11月8日に発表された。この提言は、成長戦略に軸足を置いており、基本的にはアベノミクスおよびスガノミクスを継承するものとして位置付けるべきだろう。新自由主義からの転換と呼べるほどの大胆な政策は見られない。
とはいえ、「男女間の賃金格差の解消」「公的部門における分配機能の強化」「労働分配率向上に向けて賃上げを行う企業に対する税制支援の強化」といった分配政策についての提言も見られる。
「公的部門における分配機能の強化」というのは、看護師、介護士、保育士といったエッセンシャルワーカーの賃金を引き上げる政策を指している。これはほとんど議論の余地なく正しい方針だろう。著しい人手不足が生じるほど賃金が低かった今までが異常だったのである。
「労働分配率向上に向けて賃上げを行う企業に対する税制支援の強化」は、賃上げを行った企業に対する減税措置などだ。
平成の約30年間で実質成長率はプラスであるにもかかわらず、労働者の実質賃金(名目賃金を消費者物価で割ったもの)は下落している。
したがって、労働分配率は上昇すべきものと考えられるが、この減税措置は対症療法であり、企業経営に対して言わば箸の上げ下ろしにまで口を出すような政策だ。導入すべきではないとまでは言わないが、それほど筋の良い政策とは思われない。
1975年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。IT企業勤務を経て、早稲田大学大学院経済学研究科に入学。博士(経済学)。専門はマクロ経済学、貨幣経済理論、成長理論。『人工知能と経済の未来』『ヘリコプターマネー』『純粋機械化経済』『AI時代の新・ベーシックインカム論』『MMT』『「現金給付」の経済学』など著書多数。