(『中央公論』2022年4月号より抜粋)
経済学への入り口
――お二人とも元々は経済学専攻ではなかったそうですね。
井上 大学では理系寄りの専攻で、卒業してシステムエンジニアになりましたが、技術者としてのレベルはきわめて低かったと思います。転職しようにも、デフレ不況が厳しい時期でいい仕事が見つからない。しだいに、デフレの解消すらできない経済学者たちに憤りを感じるようになりまして(笑)、経済学の教科書を読み返したら、記述と現実とに齟齬もあるような気がしました。これは経済のためにできることがあるのではないかと考えて、仕事をパッと辞め、大学院の経済学研究科に入っちゃったんですね。友人たちに「頭がおかしくなったのか」と言われましたけど。(笑)
山形 既存の経済学に不満を抱いて、あえてそのど真ん中に?
井上 不満といえば不満ですが、だからこそ面白いとも感じていました。私はいわば「遅れてきたニューアカ野郎」でして、1980年代に隆盛を誇ったポストモダン思想に興味を持ち、その他古典文学やサブカルなんかを齧っていたクチなんですが、デフレ不況がなければ経済学に興味など持たなかったでしょうね。
山形 私も理系専攻で、しかも既存の経済学への否定から入ったクチですね。まさにニューアカ全盛の頃、経済人類学者の栗本慎一郎がジョルジュ・バタイユの影響を受けて展開した過剰-蕩尽理論などに触れて、「そうか、これまでの経済学は役に立たないのか」と思っていました。
就職してまもなくバブルが弾けて、蕩尽だのをもてはやす空気は一掃されてしまいました。その頃、勤務先のお金でマサチューセッツ工科大学大学院の不動産センターで勉強することになったんです。そこではミクロ経済学の入門レベルをやらないといけなくて、初めてきちんと学んだのですが、理屈はわかっても腑には落ちなかったですね。
そんな時に大学の書店で手に取ったのが『クルーグマン教授の経済入門』でした。この本はとにかく面白くて、その後に起こる住専問題や日本振興銀行の破綻といった出来事にそっくりな先例も分析されており、あとから読み返して改めてすごい本だと思いました。当時、クルーグマンが主張するインフレ誘導政策が正しいのかどうかは判断できませんでしたが、理屈としては通っている。でも経済学者の多数派から否定されるのはなぜなんだ? などと疑問を抱いていろいろな本や論文を読み漁っているうちに、いつの間にか自分でクルーグマンからトマ・ピケティまで訳すようになっていました。
井上 私も高校生の時にバタイユを読んで、主流派経済学よりも先にバタイユの「普遍経済学」に影響されてしまった人間です。栗本さんの『幻想としての経済』や、浅田彰さんの『構造と力』、大学生になってからは柄谷行人(からたにこうじん)さんの『内省と遡行』なんかを読み漁ったりしていました。