山形浩生×井上智洋 書籍を通しての資本主義入門!? 日本の経済社会を考えるためのヒント

山形浩生(コンサルタント・翻訳家)×井上智洋(駒澤大学准教授)

「ハイパー資本主義」の夢

山形 ニューアカの時代にしばしば言われていたのは、今とはまったく違う経済体系の「ハイパー資本主義」がやってくるという話でしたね。ITの普及以降は、経済行為が国境や時間の制約を受けなくなることで、まったく異なる経済体系が実現すると語られていました。私は元々SFマニアですから、新しい経済ができるという話にワクワクしつつも、さすがに実社会に出て何年も経つので、非現実的な夢想だなとも感じていました。ただ、フリーソフトの出現で、モノを無料で配る行為が成立するようになった。この理屈はしっかり考える必要があると思いましたね。

井上 大学では環境情報学部というところにいたので、山形さんが訳されたローレンス・レッシグの『コモンズ』などが扱うような、ITと所有をめぐる議論もかなり流行っていました。新しい経済が生まれるんじゃないかという期待感も持ちつつ、山形さんがおっしゃるように全体としては半信半疑でした。ITによる「ネオ共産主義」を唱える人たちまでいて、それはさすがに現実を理想に引き寄せすぎじゃないか、と。

山形 フリーソフトの発想はとにかく「共有しよう」に尽きるわけですが、理屈をまがりになりにも説明してみせたのが、ハッカーであるエリック・レイモンドの『伽藍とバザール』でした。


 ソフトウェア開発は設計者の大きなプランに沿って建てられる大聖堂(伽藍)ではなく、それぞれが小さなモノを持ち寄るバザールなのだ、と。一人ひとりが投入するものは小さくとも、持ち寄れば大きなシステムを作れる。個々の部分は常に誰かが更新するから、全体をアップデートしなくても最新の状態に保たれる。無償の共有にはれっきとした合理性があって、共産主義者の理想とは別の思考だと論じたわけです。

 ただ、ここには従来の市場経済にはない発想があって、贈与経済や普遍経済の思考も流れ込んでいたとは思います。ニューアカ時代の遺物もすべてが無駄なわけではない、ということですね。

井上 山形さんの中では、贈与経済とフリーソフトの発想がすんなりと結びついていましたか?

山形 完全に分離してはいないです。やっぱり発想の根底には原始共産主義的な、所有よりも共有を志向する精神性があったのだろうと思います。

井上 私にとっての贈与経済は、近代以前の、言ってみれば野生の経済システムのように映っていたので、ITによるコモンズ(共有地)みたいな未来的な話に触れても、バタイユと結びつくとは思っていなかったのですが、今思えばたしかに重なる部分もあったのかもしれませんね。

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