現在も日本経済に影響が続くアベノミクスが辿ってきた経緯と、「3本の矢」のひとつである大胆な金融政策について、飯田泰之・明治大学教授が論じる。
(『中央公論』2022年9月号より抜粋)
(『中央公論』2022年9月号より抜粋)
2022年7月8日は日本の政治・社会にとって、大きな転換点として記憶されることとなるだろう。それは経済についても例外ではない。
12年に始まる第2次安倍政権における経済政策は、停滞を続けていた日本経済の潮目を変えた。いわゆるアベノミクスの影響は安倍元首相が退いた後も、そして現在も日本の経済政策の基本方針として継続されている。
本稿では、アベノミクスとは何だったのか、日本経済に何をもたらしたのか、安倍元首相の不在によって日本の経済政策にはどのような変化が生じるのか──について、筆者の個人的な思い出を交えつつ考えてみたい。
正確には、アベノミクスという単語自体は06年の第1次安倍政権発足時に自民党幹事長だった中川秀直氏によって造られた政策スローガンであるが、当時は人口に膾炙(かいしゃ)した表現であったとはいいがたい。一部メディアが12年の自民党総裁選以降に安倍氏の政策方針を指す表現として、いくぶん揶揄的なニュアンスを含めて用い始めたのが、普及の契機である。
アベノミクスと聞いて誰もが思い浮かべるのは「3本の矢」であろう。大胆な金融政策(日本銀行が主体)、機動的な財政政策(政府が主体)、民間投資を喚起する成長戦略──という一連の政策方針は、経済政策の教科書を思わせるオーソドックスな三幅対(さんぷくつい)である。しかし、それが実際にどの程度実行されたかについては議論の余地がある。簡単化すると、事前の主張通りの政策が展開された金融政策、中立もしくは逆行した財政政策、評価の分かれる成長戦略とまとめられよう。