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尾辻秀久 追悼文に込める思い――新参院議長の志と哀悼

尾辻秀久(参議院議長)

真剣勝負で臨んだ国会論戦

──3回行った哀悼演説のうち、最初は2008年1月、自らがんを公表した後に亡くなった旧民主党の山本参院議員を偲ぶものでした。「きょうは外は雪です。ずいぶん痩せておられましたから、寒くありませんか」と語りかけた人情味あふれる演説は、今でも語り草となっています。

2008年1月23日、参議院本会議で涙ながらに山本孝史氏の哀悼演説を行う尾辻氏(写真提供:読売新聞社)

 あの時は、議場に入った後もまだ原稿に手を入れていた。完成していなかったのです。もっと何か言ってあげたいな、という思いがあって、自席を立って壇上に向かう直前までずっと手を加えていた。

 私が(小泉純一郎政権で)厚生労働大臣になった時、(参院)厚生労働委員会でやり合った間柄ですから。山本さんは「自分の質問に対する答弁は必ず大臣がしてくれ。出来レースみたいなやりとりをするつもりは全くない」と言って、質問通告もしてこなかった。ぶっつけで、本音で聞くから、真剣勝負で答えてくれと。そういうことならこっちも真剣勝負で行きましょうと。議員と大臣との普通のやりとりではなかった。

 年金の事務費の一部に保険料が支出されている問題が議論になった。時の野党は、保険料はすべて年金の支払いに充てよと主張していた。私は、保険の世界の中で成り立つように考えるべきであり、間違った支出ではないと答えた。

 すると、山本さんはこともなげに「私もそう思う」と言った。彼が自分の党の主張と違うことを平気で言うものだから、私も「少しまずいかな」と思いながらも「本音で答えればそうなる」と、党の考え方とはやや違う答えを言ったりした。

 ある時は真剣勝負でやり合い、ある時は妙に意見が一致する。そういう議論をしていたから、もう、いろんな思いがあの人との間にこもっていてね。

 今でこそこんな調子で語るけれど、激しい人だったからね。意見の違うことは結構あって、議論も大いにしたけれども、生きざまというか、志は共有していたと思うな。

──参院副議長だった2011年11月には、民主党出身の西岡武夫議長への哀悼演説もされました。3回目は昨年5月、新型コロナウイルス感染症のため53歳で急逝された立憲民主党の羽田(はた)雄一郎参院議員を偲ぶ哀悼演説でした。

 本当に残念だった。羽田さんとは(参院)議員宿舎がすぐ隣の隣の部屋だったのね。しかも、うちの娘が保育士をしていて、羽田さんの子供が保育所に入ってきて面倒を見ていた。羽田さんのお父さん(羽田孜(つとむ)・元首相)とは同じ(自民党)田中派でもあった。その頃の田中派で「七人の侍」と呼ばれた一人が、羽田さんのお父さんなのです。私などはお父さんの薫陶を受けた人間だから、羽田(雄一郎)さんに対しても御尊父の息子だという特別な思いがあった。

 やっぱり、思い出すよねえ。みんな、相通ずるものがあった人たちだから。生きていたらなんと言うかなあ、今の自分を見たら「おまえ、間違ってないか」と言って怒られるかなあ、とか。あの人たちに恥じないようにやらないと申し訳ないという気はする。

 私は名演説をしたなどとは全然思わない。ただひたすら、端(はた)から見て精も根も尽き果てたと思われるぐらい一生懸命やっている。

 親しくした人ほど、追悼文を読むのはつらい。そろそろこの役割は、終わりにしたい。

(続きは『中央公論』2022年10月号で)

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尾辻秀久(参議院議長)
〔おつじひでひさ〕
1940年鹿児島県生まれ。防衛大学校中退。東京大学中退。25歳から5年間かけて世界77ヵ国を巡る。鹿児島県議を2期務めた後、89年に参院議員初当選。財務副大臣、厚生労働大臣、参院予算委員長、参院副議長、自民党両院議員総会長などの要職を経て現職。日本遺族会会長を務めたほか、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」など超党派の議員連盟に多く携わる。
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