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大山顕 ゼレンスキー大統領のオンライン演説に見る、外交手腕の2つのポイントとは。画面越しでも「自分に向けられている」と思わせる大切さ

斜めのミラー
大山顕(写真家・ライター)

「ぼくに向けられた」演説

 

224日にロシアがウクライナに侵攻し、侵略戦争が始まった。多くの犠牲者がでていて、たいへん悲しい。本稿執筆時点(20224月)では、収束の気配は見えていない。憂鬱だ。

 

このような状況の中、2度の世界大戦の経験や、複雑にグローバル化した経済などの理由から、ロシアに対する表だった武力行使を控えている各国に対し、ウクライナのゼレンスキー大統領が公式の演説を行っている。イギリス、ドイツ、アメリカのそれぞれの議会でオンラインによる演説が実施され、日本では323日に衆議院国際会議室で行われた。

 

演説はたいへん興味深かった。といっても注目したいのはその内容ではない。もちろん、ぼくもあの中継を見た多くの人たちと同様、その計算し尽くされた内容に感銘を受けたくちだ。なにより、ぼくはチョルノービリ(チェルノブイリ)に行ったことがある。大学時代、あやうく地下鉄サリン事件に巻き込まれるところだった友人もいる。だからあの演説はぼくに向けられたものだとすら感じられた。

 

津波、原発事故、地下鉄サリン事件など、ここ30年の出来事を盛り込んで日本人の感情に訴えかける、という戦術はたいへん巧みだった。よほど優れた脚本・演出家がいるとみえる。多くの人がぼくと同じように、あの演説を自分に向けられたもののように感じただろう。

 

要するにぼくらは自分が体験して覚えていることが話題になると引き込まれる。裏を返せば、それがどんな重大事であっても、自分が体験していないことを語られてもピンとこない。ぼくらは忘れっぽい国の人間なのだ。

 

これは彼がアメリカ向けに行なった同様の演説で真珠湾攻撃に触れたことと対照的だ。80年以上前の出来事だが、かの国の人びとには響くはずだとゼレンスキー大統領は判断したのだろう。次に日本での演説が予定されている段階であのエピソードを持ち出したことに対して、我が国では一部の人たちが動揺を見せた。

 

だが、ぼくが思うに、この一連の演説で取り上げられた出来事について考えるべきは、それぞれの加害者/被害者は誰か、というところにはなく、忘れっぽい国と、80年以上前のことがアクチュアルに響く国との違いにある。アメリカでの演説では、ラッシュモア国立記念碑に刻まれた四人のアメリカ大統領を取り上げ「あなた方のすばらしい歴史」と語ってもいる。イギリスでは『ハムレット』の一節や第二次世界大戦中のチャーチル首相による演説が引用された。「出来事」の日本と、「歴史」の国々、というわけだ。

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