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片岡剛士 アベノミクス後をいかに乗り切るか――日本経済10年の軌跡を踏まえて考える

片岡剛士(PwCコンサルティング合同会社チーフエコノミスト)

消費税増税は何を棄損したのか

 だが、二つ目と三つ目の不安は残念ながら現実化してしまった。まず二つ目の不安については、日銀による大胆な金融政策と、政府による補正予算(「日本経済再生に向けた緊急経済対策」2013年2月26日成立)および13年度予算(同5月15日成立)の効果も相まって実体経済の改善が進んだことで、2%の物価安定目標を達成する前のタイミングでの増税という、政策目的から外れた政策を取る素地を作った側面がぬぐえない。

 実体経済が一定程度改善されたことは、三つ目の不安である14年4月からの消費税増税の決定にもつながっていく。筆者は13年8月26日から31日にかけて政府が開催した「今後の経済財政動向等についての集中点検会合」(点検会合)で、「2014年4月から8%へ、15年10月から10%へという消費税増税スケジュールには合理的な根拠はなく、判断基準とされた13年7~9月期の日本経済は本格的な回復とは言えず、よって消費税増税に耐えられる状況とは言えない」と主張した。

 点検会合は各界の有識者・専門家を集めて都合7回開催され、筆者は経済の専門家が集った第2回会合に参加した。議事概要を確認すると、当時参照できた13年4~6月期のGDP(国内総生産)統計から、日本経済は消費税率引き上げに耐えられるので、増税とデフレ脱却は両立できると述べたのが9名中5名、筆者を含む4名は景気の回復は不十分で、消費税増税が日本経済のデフレ脱却への障害になると主張した。なお黒田総裁が消費税増税の延期について「どえらいリスク」と発言したことは、早すぎる増税を後押しし、結果的に物価安定目標の早期達成を困難にすることにつながったと言えよう。

 そして後付けではあるが、予定通り消費税増税をすべきだと述べた5名の有識者の主張、中でも消費税率を予定通り引き上げないと日本の財政への信認が棄損して国債金利が急騰するといった指摘が誤りだったことは、その後2度にわたって消費税率引き上げを延期した際の経験から明らかとなる。さらに1997年の景気悪化が、3%から5%への消費税増税によるものではないという有識者の主張も誤りであったことが、2014年4月以降の民間消費の大幅な落ち込みと、その後のL字型の停滞を含む日本経済の「想定外の落ち込み」という形で立証された。

 この日本経済の「想定外の落ち込み」は、同時期に生じた原油価格の下落や、その後の新興国経済の減速、グローバル金融市場の不安定化という逆風も相まって、予想インフレ率の上昇を緩慢なものにし、政府・日銀が2%の物価安定目標の早期達成にコミットして拡張的な財政・金融政策を運営するという「リフレ・レジーム」を棄損したのである。

 14年4月の消費税率引き上げ以降の日銀の金融政策は、14年10月31日の追加緩和(「量的・質的金融緩和」の拡大)、16年1月29日におけるマイナス金利政策の採用(「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」の導入)、同年9月の総括的な検証、そして「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」という形で推移する。

「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」は次の三つの政策からなる枠組みである。一つ目は、短期政策金利をマイナス0・1%、長期金利の操作目標をゼロ%程度に設定し、その下で適切なイールドカーブ(国債の満期限を横軸、金利を縦軸とした曲線)を形成すべく、長期国債の買い入れを行う長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)。なお、適切なイールドカーブ・コントロールとは、緩和が適切な局面では国債買い入れを行うことで、実際の実質イールドカーブを均衡イールドカーブ(景気を加速も減速もさせない中立的な実質イールドカーブ)よりも全体に低位に位置づけて景気を刺激することを指す。二つ目はETFをはじめとしたリスク資産の買い入れ。三つ目が先行きの政策運営に関する対外的な約束、すなわちコミットメントである。コミットメントは基本的に、物価上昇率が2%を安定的に超えることが確認できるまでマネタリーベースの拡大方針を継続する「オーバーシュート型コミットメント」と、政策金利に関する先行きの指針である「フォワードガイダンス」から構成される。

 これら三つの政策は名目金利から予想物価上昇率を引いた実質金利の低下を通じて日本経済に好影響を与えたものの、概ね物価はゼロ%台で推移して、残念ながら景気拡大により総需要が拡大する価格上昇(ディマンドプルインフレ)の形で2%に到達することはなかった。

 表は金融政策を含めたアベノミクスの経済への影響につき、世界がコロナ禍に見舞われた20年以降を除く13年から19年までの時期を対象にまとめた。大胆な金融政策の評価にあたっては、先述の通り財政政策が消費税増税を通じ「リフレ・レジーム」のブレーキとして作用した点を考慮すべきで、これがなければもっと成果を上げていたに違いない。



(続きは『中央公論』2023年2月号で)

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片岡剛士(PwCコンサルティング合同会社チーフエコノミスト)
◆片岡剛士〔かたおかごうし〕
1972年愛知県生まれ。慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程(計量経済学専攻)修了。2017年7月から22年7月まで日本銀行政策委員会審議委員、同年8月より現職。著書に『日本の「失われた20年」』(河上肇賞本賞、政策分析ネットワークシンクタンク賞)、『アベノミクスのゆくえ』『日本経済はなぜ浮上しないのか』など。
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