守られると思っていた密約
しかし、密約とは裏腹の政治の非情な世界を、渡辺は目の当たりにする。舞台となったのは岸の退陣表明直後、1960(昭和35)年7月に行われた自民党総裁選挙だ。
岸からの支援を信じて疑わない大野は、次期総裁に名乗りを上げた。政権をいつまでも官僚出身者の手に委ねるのではなく、「純粋な党人の手で握り、理想的な政党政治の軌道に戻したい(※2)」というのが、立候補の動機だった。この総裁選挙には大野のほかに、池田勇人、石井光次郎、藤山愛一郎、松村謙三が立候補に意欲を示していた。
5候補による激戦になるとみられた選挙だったが、岸との密約を交わしていた大野陣営には、終始楽観的なムードが漂っていた。この総裁選挙の4ヶ月前の3月にも大野は自ら岸と面会し、密約が有効であることを再確認していたのだ(※3)。総裁選挙の投票日が刻一刻と迫ってきた段階においても、大野の元には派閥のメンバーから、予定通り岸の支援を得られ、勝利できるとの情報が次々にもたらされていた。
NHKに残されている当時の映像には、大野派の派閥会合の様子が記録されている。煙草を燻らせながら派閥メンバーが談笑する雰囲気は和やかで、笑顔を見せる大野の表情には余裕すら感じさせるものがある。実際に投票2日前の夜の段階でも大野陣営では、大野が1回目の投票で170票を獲得し、1位となるとの確信を得ていた。
そして決選投票では「党人派連合」を組む石井陣営の70票に加えて中間派などからの票も獲得し、過半数を得て勝利できると大野は踏んでいたのだ(※4)。しかし渡辺は、全く異なる情報を得ていた。情勢取材のために岸に接触した渡辺は、その言葉に戦慄した。
「大野は密約が守られると思っていたんだよ。それで自分が総理になれると思ったんだ。だけど全然違った。僕は岸のところに談判に行ったことがある。『あの約束どうしてくれる』と言ったら、岸は俺の心境は『白さも白し富士の白雪だ』と言った。それは要するに、ノーだ」