※本稿は、『独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた~』(著:安井浩一郎・新潮社)の一部を再編集したものです。
- 幻の「総理大臣禅譲密約書」
- 岸が密約を交わした背景は
- 守られると思っていた密約
- 「白さも白し富士の白雪」 岸の意趣返し
幻の「総理大臣禅譲密約書」
渡辺は激しい派閥抗争の中で、権力の頂点をめぐる権謀術数を目の当たりにする。時は総理大臣だった岸信介が退陣する1年半前の1959(昭和34)年1月にさかのぼる。実はこの時、驚くべき秘密文書が、最高権力者たちの間で取り交わされていた。岸が党内の派閥領袖たちと、後継総理の順序を取り決めた「密約書」だ。渡辺は大野伴睦経由でその存在を突き止めた。
「僕は大野伴睦に聞いて『密約がある』と。『その文書を誰が持っているんですか』と聞くと、『児玉誉士夫君だ』と。『僕は児玉誉士夫に会ったことがないから、紹介してくれませんか』と言うと、その場で大野は電話をかけてくれたね。それで児玉の所へ行ったら会ってくれて、『密約をお持ちだそうですが』と聞くと、『あるよ』と言う。それを後日に取り寄せてくれて、自宅で見せてくれたんだ」
立会人として、密約の原書を持っていたという児玉誉士夫。戦前は軍の特務機関に身を置き、中国大陸で巨額の資金を調達した過去を持っていた。戦後はその資金力と人脈を背景に「フィクサー」と呼ばれ、数々の政治局面に関与したと言われている。鳩山一郎に自由党の結党資金を工面したと囁かれるなど、大野伴睦ら自民党の有力政治家と、緊密な関係を持っていた。
この密約書には、岸の次には大野伴睦、次いで河野一郎、佐藤栄作の順で総理大臣とすることに「協力一致実現を期すること」への「誓約」が明記されていた。この密約が交わされたのは1959(昭和34)年1月16日のことだった。
帝国ホテルの光琳の間に岸と大野、河野、佐藤が集まり、大野と親交の深かった北海道炭礦汽船社長の萩原吉太郎、大映社長の永田雅一、そして児玉の立ち会いの下で、後継総理について取り決めが交わされたのだ。渡辺はこの密約書を児玉邸の庭石の上に置き、写真に収めたという。岸が自ら筆を執り、したためた証文だった。