不寛容が広がる現代社会で、自由に生きるとはどういうことなのか。国家の「生かす権力」にどう対峙していけばよいのか。法哲学者の住吉雅美・青山学院大学教授に聞いた。
(『中央公論』2023年10月号より抜粋)
(『中央公論』2023年10月号より抜粋)
- SNSとともに広がる不寛容
- 正義感と嫉妬心は表裏一体
- 「生かす権力」に支配される
SNSとともに広がる不寛容
現代社会では、ますます個人の自由が制限され、窮屈さを感じることが多くなっています。
窮屈さの要因の一つにSNSがあることは確かでしょう。SNSは近年、匿名性に守られ、目立つ人を叩く鬱憤晴らしの手段になってしまいました。有名人や社会的影響力の大きい人は傷つけてもいいと思っている人がいる。人数は多くありません。同じ人が複数のアカウントで執拗に叩き、それが拡散されているのです。
コロナ禍で人々が自宅に籠もったせいもあるでしょう。リアリティショー「テラスハウス」に出演していたプロレスラーがSNSでの誹謗中傷に悩み自死したのもコロナ初期でした。それまで接することのできなかった遠い存在に対して匿名で直接「お前はこうだ!」と言えてしまうのは、SNSというメディアの負の側面です。さらにそうしたSNS上の話題が即ネットニュースになり、過熱するとテレビも取り上げるから厄介です。ネットニュースは全体の文脈を無視して一部を切り取りがちで、誤ったメッセージがどんどん広まっていく。攻撃を受けた側にとってこれほど嫌なことはありません。
本や新聞を読む人が減り、長い文章が読まれなくなっています。スマホでネットニュースの見出しを見ただけで、「こういうことが話題になっているんだ」とわかった気になり、「こいつ、何言ってやがる!」と早合点し、独りよがりの正義を振りかざす人が増えているのも、非常に気になる傾向です。
かつてはマスクを着けている人がいても、「花粉症かな」と思う程度だったのが、コロナ禍で「マスクをしない人は非国民」と言わんばかりの空気ができ、逆に今では「暑いのになぜ着けるんだ」と非難する人も出てきた。不寛容が広がっています。