住吉雅美 現代社会の法と自由を考える――それはほんとうに「あなたのため」なのか
「生かす権力」に支配される
自由主義には、他人に危害を加えない限り、自分だけに不利になることをやってもいいという「危害原理」の原則があります。
一方で19世紀頃から、国家は「生かす権力」を行使し、国民を死から遠ざけるようになりました。社会を存続させるためには構成員をより長く生かす必要があると気づいたのです。そのうち、出生率を上げろ、子どもの性教育を見直せと、極めてプライベートな営みであったセックスさえも国家の問題とするようになってきた。生殖につながらない自慰が不健全であるという考え方が出てきたのも、19世紀半ばからです。
ちなみに、この「生かす権力」をフランスの哲学者、ミシェル・フーコーは、「生権力」と呼んでいます。
多くの国で尊厳死や安楽死が認められていないのも、「生かす権力」の影響です。自死を選んだ思想家の西部邁(すすむ)さんのように、病院でチューブにつながれてまで生きたくない、健康なうちに人生を終えたいという人もいるわけです。尊厳死は古代ギリシャ・ヘレニズム期のストア学派の流れを汲む生き方の一つのバリエーションだと思います。
健康でありたい人はもちろんいますが、一方で、不健康でも楽しく生きたいという人もいるのです。そう考えると、日本の健康増進法は「余計なお節介法」だと思います。
「国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない」(第2条)などと条文化される筋合いはありません。どんな生き方をしたいかは本人が決めることで、国に指図されるものではないのです。
この法律の目的は明確です。高齢化が進み、不健康な人が増えると公的医療負担が増えて困るから。
健康診断を最初に大規模に導入したのは、ナチスだと言われています。目的は、国のために使える人間と使えない人間とを分けること。障害者やアルコール依存症患者は不健康とみなされ、最悪の場合、安楽死させられた。健康診断の結果がよいと喜ぶ人がいますが、それは会社にとって使えるやつとみなされただけのことです。
身体に悪いことをしてはいけないのなら、スタントマンとかボクサーとか、みんな身体に悪いことをやっていますよね。売れっ子漫画家だって机にずっと向かっていて、結構身体に負担がかかっていますよね。
不健康で太く短くという生き方を選んでもいいと思うんです。自分は命が短くてもいいから、ずっとたばこを吸っていたいとか、ずっと酒を飲んでいたいというのは生き方の自由。私自身、自由主義なので、自分の人生と身体は自分のもの、と思っているんです。国や企業のためのものではない。
最近よく聞く「罪悪感」という言葉にも違和感があります。脂ギトギトのラーメンや夜中のパフェに罪悪感がつきまとうのは、不健康なことをするのはよくないこと、食べたいものを食べるのは「悪」だとの感覚が染みついているからです。医療費の増大防止という目的を明言せず、「あなたのため」とすり替える健康増進法の精神がすっかり浸透している証拠でしょう。
政府には、「なぜあなたに健康になってもらいたいかというと、医療費の事情があるんだ」とはっきり言ってほしい。政府は新型コロナのワクチンをめぐっても、「大切な誰かのために」とか「あなたのために」と、責任を本人に委ねる言葉を使っていました。自由を尊重しているように見せて、実際には「生かす権力」で人々を動かしているのです。
私はもともとアナーキズムの側に立つ人間なので、使い道も知らない保険料を国に言われるままに支払い、「財源が足りないので、健康に生きてください」と指示されるよりも、老後に必要な資金は自ら積み立てておくほうがいいと考えています。少子化が問題だと政府が言うのも、結局は、増え続ける高齢者を支える若者が不足するからです。でも、なぜ高齢者の暮らしを若い人に支えさせるのでしょうか。小さな政府にして税金は極力低く抑え、自分の生活は自分で支えるような制度を考えればいいのではないでしょうか。
構成:高松夕佳
1961年北海道生まれ。北海道大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。山形大学助教授等を経て現職。専門は法哲学。著書に『哄笑するエゴイスト──マックス・シュティルナーの近代合理主義批判』『あぶない法哲学──常識に盾突く思考のレッスン』がある。