これまでの取り組みは、バラバラで「空回り」だった
増田 地方の人口減の要因は、出生率が上がらず死亡者数が上回る「自然減」と、若者が地方から離れていく「社会減」の二つです。2014年、政府が内閣に設置した「まち・ひと・しごと創生本部」の地方創生の施策は、この二つの同時解決を目指すものでしたが、途中で「子ども・子育て本部」が設置されたため、政策や体制が実態として分割されました。
一方、11年に民間で設立し、私が座長を務めた「日本創成会議」の「ストップ少子化・地方元気戦略」は、まさに社会減を防ぐため、アベノミクスを追い風にして地方に仕事を作り、東京への若者の流出を食い止めよう、そうすれば出生数増加にもつながるだろうと提言しました。つまり主眼は人口減少に歯止めをかける社会システムの構築にあった。しかし、「地方消滅」が注目され、市町村それぞれが人口ビジョンを打ち出したせいか、地方自治体は自らの住民数を増やすことに躍起になり、近隣自治体との移住者の奪い合いに終始してしまった感があります。
そして、自然減対策の方は、やはり国が責任を持って取り組むべき問題で、その上で市町村は子育て環境の細やかな改善に取り組むという役割分担がなされるべきでしたが、残念ながらそうならなかった。このように、政策対応が各部門や組織に分割され、バラバラに進められた結果、取り組みが「空回り」したのがこの10年だったと思います。
三村 「『選択する未来』委員会」では、人口減少を真正面から取り上げました。50年後の日本を考える上で、人口問題はもっともわかりやすい論点だし、国民全体で議論ができるだろうと思ったからです。委員会名も、今行動を起こせば望ましい未来を選択できる、という意味を込めてつけたのです。ジャンプ・スタートが重要で、2020年までが勝負だと提言し、メンバーは熱心にやってくれたのですが、危機感は国民全体には広がらず、幅広い運動にはつながらなかった。
率直に言って、政権が真正面から取り上げなかったのが大きな要因です。人口問題は、政策として多額の費用を投入しても成果が上がるのが数十年後という点で、政治的なアピールが期待できないテーマです。長期間にわたって粘り強く、希望を持って取り組み続ける必要があり、相当に強い基盤がなければ難しい。当時の我々では力不足でした。
この10年間を振り返ると、人口は減り続けましたが、女性就労のM字カーブ(結婚、育児期に就業率が大きく低下)については、L字カーブ問題(女性の正規雇用率が20代後半をピークに急低下)は残ったものの解消した。また、高齢者の就業が進んだため、全体としての労働力人口はさほど減らず、人口問題の恐ろしさが牙をむくまでには至っていなかった。ところがコロナが落ち着いたらどうでしょう。建設業、介護現場、観光業......どこも人手不足で大変です。いよいよ人手不足の恐ろしさに誰もが慄(おのの)き始めた。10年遅れではあるものの、今ここで再スタートするのは、決して遅すぎではない。もう一度みんなで気を引き締めて挑戦しようじゃないか、というわけです。
――政府には成果を検証する考えはなかったのでしょうか。
増田 もともとが5年戦略で、5年ごとに切り替えようということだったのでしょう。先ほど述べたように、当初は自然減も社会減も、すべて一つの司令塔のもとで対策が行われていましたが、体制が分割されたこともあり、地方創生は交付金を地方自治体へ配ることだけに特化してしまった感じですね。
三村 増田さんは謙遜されますが、「地方消滅」のインパクトは大きかったと僕は思うよ。東京でも豊島区など「消滅可能性都市」リストに入った自治体は対策本部を設置して真剣に取り組み、改善を見ている。大きな効果があったと思う。
増田 あのデータにショックを受け、必死になって改善させた自治体、手を打たなかった自治体、近隣地域から移住者を集めようとした自治体など、さまざまでした。その意味で検証は必要だったと思います。メインテーマは社会減に対する「仕事づくり」だったのですが、非正規雇用を中心に就業率は上がったものの、地方では十分でなかった。