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天皇訪中実現に暗躍した田中清玄...昨年末に公開された外交文書の余白を読む

徳本栄一郎(ジャーナリスト)

国内の訪中反対勢力との闘い

 平成に移った後、1991年11月、橋本恕(ひろし)駐中国大使が、渡辺美智雄外務大臣に意見具申を送った。翌年に国交正常化20周年を控え、中国は、官民挙げて天皇訪中を望んでいるという。訪米、訪欧後に実現すれば、「西側の一員であると同時にアジアの一員であるという、わが国外交基本方針に、まさしく合致する」(「外交文書」)。

 だが、この意見具申の要諦は、末尾の文言にあった。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■このことは半世紀以上に亘って昭和天皇の側近として御仕えした故入江侍従長が生前何度も本使に語ったところである。一昨年、本使北京に赴任の直前拝謁した際、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■本使は今その時期がきたと愚考する」(同、一部表記を改めた)

 田中の証言や入江の日記、前後の文脈から、黒塗りは、訪中を望む天皇の気持ちと見ていい。他の文書も、天皇の意向を伏せた箇所がある。それが、外務省を突き動かしたのかもしれない。

 そして、この頃、同省のアジア局中国課は、「ポジション・ペーパー(案)」をまとめた。「戦後のけじめ」は避けて通れず、即位後、あまり時間を置かず行くべきという。ついにプロジェクトが動き始めた。だが、その前にまず、大きな障壁を越える必要があった。訪中に反対する国内勢力、特に自民党の保守派である。


(続きは『中央公論』2024年4月号で)

中央公論 2024年4月号
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徳本栄一郎(ジャーナリスト)
〔とくもとえいいちろう〕
1963年佐賀県生まれ。著書に『田中清玄──二十世紀を駆け抜けた快男児』『エンペラー・ファイル──天皇三代の情報戦争』、小説に『臨界』などがある。
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