三菱グループに目立つ慶應人脈
企業内三田会が特に目立っているのは三菱グループだ。三菱の中核企業で構成される三菱金曜会(毎月第2金曜日に開かれる会長・社長会)のメンバー企業に限っても、三田会の存在感は群を抜いている。東京海上日動火災保険(会員数1700人)、三菱商事(1100人)、三菱UFJ銀行(1000人)、三菱UFJ信託銀行(947人)、三菱電機(728人)、明治安田生命保険(559人)、ENEOSホールディングス(455人)、三菱地所(319人)、日本郵船(153人)、キリンホールディングス(協和キリンと麒麟麦酒計150人)、ニコン(140人)、三菱重工業(3事業所計113人)、三菱マテリアル(112人)、三菱倉庫(90人)など、三田会が三菱グループを席巻している。
三菱で慶應閥が強いのには理由がある。それを知るには慶應の創立者・福澤諭吉の時代までさかのぼらなければならない。最初は三菱側からのアプローチだった。三菱財閥を興した岩崎弥太郎は本拠を大阪から東京に移すにあたって、優秀な人材を集めようとしていた。そこで従弟の豊川良平に、慶應義塾に入学してヘッドハンティングしてくるように命じた。大阪まで慶應の名は轟いていたのだ。
入塾した豊川は福澤に事情を説明した。これは福澤にとっても渡りに舟だった。官界より実業界を目指せと説きながらも、門下生の就職先を見つけるのに苦労していたのだ。ただ、懸念もあった。岩崎の評判があまりに悪かったのだ。維新のドサクサに紛れて土佐藩のカネを横領したとか、傲慢きわまりない男だといった噂が福澤の耳にも届いていた。
福澤は東京に進出したばかりの三菱商会をのぞきにいった。店頭に飾られているおかめの面が気持ちを和ませた。元武士と思われる社員も笑顔で客に接していた。これなら大丈夫と安心した福澤は、積極的に門下生を送り込むようになった。慶應出身の社員たちが三菱の礎を築き、グループ内で次第に学閥が幅を利かすようになっていくのである。