カントリー界のシンデレラとして
これだけ民主党支持が当たり前な音楽業界において、テイラーは保守とリベラルの架け橋とされる存在だった。というのも、彼女はもともと、カントリー歌手なのだ。南部テネシー州の都市ナッシュビルを本拠地とするカントリー音楽は、地方に住む白人を中心に人気を集めるジャンルとされる。そのため、ポップほどリベラルではなく、むしろ保守寄りの業界である。
2000年代にはある有名な事件が起こった。9・11後、カントリー業界では、歌手トビー・キースによる復讐を誓う愛国歌「Courtesy of the Red, White and Blue(The Angry American)」がヒットしていた。しかし03年、人気女性バンドのディクシー・チックス(現チックス)のメンバーが、共和党のブッシュ政権によるイラク戦争を批判して、「大統領と同じテキサス州出身であることを恥じている」と発言した。これを米軍への侮辱ととらえた保守派は、彼女たちへのボイコット運動を展開していった。04年のギャラップ社の調査によると、カントリーファンの6割近くが共和党支持で、リベラル自認は1割程度。カントリー業界からすれば顧客層を怒らせたことになる。こうして干されたチックスは音楽シーンから消えてしまった。
テイラーが音楽業界に入ったのはこの頃だった。14歳にしてすでに作詞作曲の腕は買われていたが、レーベルからは「カントリーリスナーは中年主婦だから子どもの歌なんて聞かない」とはねつけられていた。それでも「同世代として共感できる歌を求める若いカントリーファンもいるはずだ」と信じていたテイラーは、自分の気持ちをつづる作風を貫き通し、16歳でデビューするやいなや大人気となった。
「中年のジャンル」を一新させたテイラーは、カントリー界のシンデレラだった。主流ポップ歌手とちがって、性的な作風をとらない清楚系女子でもあったから、日本や中国を含むたくさんの「非セクシー」志向の女子たちから支持を得ていった。しかしながら、風向きが変わったのは14年。5枚目のアルバム『1989』にて本格的にポップジャンルへ移行し、ニューヨークへ引っ越したのだ。