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小林武彦 老いて病む人間、ピンピンコロリの動物

小林武彦(東京大学定量生命科学研究所教授)
小林武彦氏
 ヒトの一生には老化と病気が付き物だが、野生動物にそれらは存在するのか。そして、ネガティブに捉えられがちな病は進化史のなかでどのような意味をもつのか。『なぜヒトだけが老いるのか』を刊行した生物学者の小林武彦氏が解説する。
(『中央公論』2023年10月号より抜粋)

人間だけにある老後

 野生の動物が病気になることは基本的に少ない。特殊な例外はあるが、生きている限りメスには生理があり子供を産む。生殖が可能な状態の動物は病気になりにくいのだ。子供が産めるうちは絶対に生かしておこうという進化の選択圧があるからだ。逆に言えば、子孫を産む前に病気になる生き物は絶滅してしまうのである。

 風邪や下痢のような感染症に罹り、くしゃみをしたり、お腹を壊したりしてじっとしている動物の姿は見ることがあったとしても、がんや認知症のように長寿に伴う病気はない。死ぬ前の動きが悪くなった状態を老いた状態とすれば、野生の動物にはそれが存在しないのである。生態系は基本的に「食べる-食べられる」関係で維持されているので、動きが悪くなると食べられて死んでしまう。のんびりした老後を迎えることはないのだ。

 ところが、人間は閉経の後も、つまり子供が産めなくなっても生きている陸上で唯一の哺乳動物である。これが「長い老後」になった。老いた人間がいるほうが社会をまとめたり、種の繁栄にとってプラスだったりしたため、積極的に選択されて残ってきたのだ。それが老いの意味であり、老後の存在する意味でもある。

 ヒトは自らの種の繁栄のために積極的に寿命を延ばしてきたが、残念なことに長い老後の副産物のように病気もついてきてしまった。それが、がんや認知症といった高齢化に伴う疾患である。

 がんや脳卒中などの加齢性疾患に罹る人は55歳くらいから急激に増えてくる。進化の過程では、それ以上生きることが想定されていなかったからである。

 チンパンジーの遺伝子はヒトとほぼ同じで、1・5%程度の違いしかないが、そのチンパンジーにも老後はない。このことは、ヒトとチンパンジーが分かれた600万年前以降に、人間が老後を獲得したことを物語っている。

 人間は長寿を獲得したことで、加齢性疾患と闘いながら老後を生きるというライフスタイルになった。もしも50代で死ぬのであれば、ほとんどの人は高齢化に伴う病気に罹らないまま亡くなっていたはずである。

 人間に飼われている動物園の動物や犬、猫などのペットには、本来はないはずの老後がある。しかし、それは進化の選択圧の結果ではなく、死ねなくなっているという消極的な老後にすぎないのである。

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