イーロン・マスクの「思想」
2011年のインタビューでマスクは、自身の政治信条について「社会的にはリベラルで、財政的には保守的な、中間のどこか」だと語った。18年にはTwitterで、「自分は保守派ではなく穏健派であり、人権問題は自分にとって極めて重要だ」とも述べていた。その割に、反ユダヤ主義、人種差別的、性差別的な問題に言及してたびたび炎上しているのだが。
買収する前から、マスクが自分の見解を発表する主なメディアはTwitterだった。短文しか投稿できないという特性もあり、Twitter上でのマスクの言動にはあまり一貫性が感じられない。
「言論の自由絶対主義者」を標榜しつつ、トルコなどの権威主義的な政府が選挙前に政敵の検閲を求めてくるとそれに応じたり、自身に批判的なTwitterアカウントを(一時は禁止しないと述べたにもかかわらず)一転して凍結し、それを報じたジャーナリストらのアカウントまで規制するということもあった。
マスクは政府が企業に助成金を出すのに反対しているが、彼が運営する企業は多くが巨額の政府補助金(米紙『ロサンゼルス・タイムズ』の報道によれば15年の時点で合計約50億ドル)を受け取っており、ロビー活動にも熱心である。
AIの進歩によって多くの人々から仕事が奪われるとして、ユニバーサル・ベーシック・インカム(国が国民全員に一定額の所得を保障する制度)に賛同する一方、高齢の身を押して超富裕層から貧困層への富の再分配を訴える米上院議員バーニー・サンダースに対しては「まだ生きていたとは知らなかった」とせせら笑う。AIといえば最近では、あまりに急速に発達して危険だという理由でAIの研究開発の6ヵ月停止を訴えていながら、大量の機材を買い込みChatGPTに対抗する新会社xAIを7月に設立して失笑を買っていたのが記憶に新しい。
こうした矛盾を単なる幼稚で自己中心的なオポチュニズム(日和見主義)と切り捨ててもよいのだが、実のところ最近のシリコンバレーの起業家や投資家らの言行を追っていると、マスクと似たにおいを感じることがある。
高邁な理想をぶちあげる一方、それに真っ向から反するような、詐欺まがいのことにも平然と手を染める。遠い未来のことには熱心だが、今ここで困っている人々には冷淡である。傍から見れば支離滅裂なのだが、それなりに彼らの中では正当化されているようなのだ。そういう意味で、マスクは特異な一点ではなく、近年現れた一群の人々の代表格と捉えることができるのである。